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「 カ・エ・デ」

夕日の色と、

楓の色が、

似ていることが、

偶然であるわけがない。

というおじいさんの言葉を、

忘れられないでいる私は、

まだここにいる。





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とりあえずまずは、

責任の所在の在り方という話の続きから。

若い人間に責任を取れなどと言ったら育たない。
チャレンジしない。無難なことしかやらなくなる。
責任を取らされるところで安心して働けない。
それぞれに事情がある。仕事ばかりしていられない。

そりゃそうだ。それぞれに役割がある。
責任を取る役割ももちろんある。
ここで言いたいのはそういうことではない。

できる事が増える事、仕事の内容の幅が広がる事、
それは手足であって、大した問題ではない。
そいつにしかできないことなど国宝級の人間になってからの話だ。
代わりはいる。(人間関係信頼関係とかはとりあえず置いといて。
こういうのは一長一短あるので割愛)

「取り返しのつくうちに責任感を養え」という話だ。

現状を見ればわかるだろう。
「責任のたらい回しが可能な為に、」おかしなことを平気でやるのだ。
陰でいのちが消えていることも知らずに。
今後消えていくことも知らずに。
(川田の釣りターゲティングのように)

(・・・いろいろと面倒なのでまた割愛するが、責任の矢印の方向のコテイレみたいな話)

これは若い人間のハードルを上げろという話ではなく、

「若い人間が社会をボトムアップしようぜ」という話。

140文字の言葉の向こうは各々の想像力だ。
思い込みを可能性の幅に変えて欲しい。
まだ白い紙のまま残せた未来思考の人にだけ、届くといい。

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「越境することで完成形に導くという振り子法について」

これも、前回の分類法の流れなんだろうが、
越境という言葉には、相反する二つのものがあるという意味もそれだけで含んでいる。対極に置いているものが、本当に対極にあるのか?
という先入観を疑う必要がある。

辞書で調べれば「抽象」対義語「具体」と書かれている。
皆さんもそう思うだろうか?抽象と具体は、隣接してそうな気もしないか?
「主観」「客観」対極にあるだろうか?
言語としては対になっていても行為としては同じ場所ではないか?

(この「言葉」「単語」としてではなく、この「場所」というイメージの感覚、概念が大事ですよね、まあ後日)

翻訳はまだまだ発展途上らしい。(しらんけど)
結局他の国の話を、自分で理解、解釈しなおさずに、そのままもってきてたから、おかしくなるんじゃないの?川田。

・・・とはいっても、

世間一般の共通認識としての言葉が使えないと話にならない。
それぞれの認識でいてはスムーズなコミュニケーションが取れない。
わかる人にだけわかるでは、浸透範囲が狭くなる。
ターゲットに向けて理解しやすく、魅力的にしたつもりが「越境」という言葉なのかもしれない。誰もが多少言葉に酔いたいものだ。そのほうが効果がある。(ビジネスとしてだけなら)それもわかる。

・・・・で、割愛する・・・・


「みかんの対義語、対極は、りんごか?」


ややこしいが、時間をかけて広義にデザイン思考を伝える場合は、
こちらのほうが伸びがある気もする。


で、

あーだこーだ小難しく考えずに
もっと簡単な方法で同じ答えを出せるとしたら?という話を・・・・

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