見出し画像

「後天的美的感覚」

「大きな仕事が終わった後の ビール」

「辛いことがあった日の 夕日」

「遠くの想い人の 手紙を読んだ後の 青空と 入道雲」

「二日酔いの朝の シジミの味噌汁」

「電車帰りの 満月」

「縁側で帰りを待つ猫と 子供」



「詩」

生を含んでいる以上、

私たちが「物体」として存在するからには、

最後までの時間を背負い、

その影と、

先の光を、

携えている。

例え山奥で一人になっても、

都会で大勢に囲まれても、

常にココにある。

必ず何かと時間を共有している。

どこかで繋がっている。


・・・・・・・

「 さあ、まずは、水を飲もう 」

・・・・・・・

あなたの光と影が、

あなたが見ている世界を、

美しくしてゆく。

・・・・・・・

「 音楽を奏でよう 」

・・・・・・・

雑音にかき消されても、

聞こえるように、

届くように、

・・・・・・・

「 忘れずにいよう 」

・・・・・・・

君に、

渡せるように、







川田のように
濁った水を美味しいという、
どぐされ野郎に、
どうしたら美しさを伝えられるのか!?

(むしろ美しさを壊すやつだからね、無理かな)


経験だけでも、考え方だけでもあいつには足りない!!!



人類の永遠の課題を
社会問題の宝庫である川田を例に
考察し、展開しよう。

ということでまずは、
先天的なものと後天的なものはどう区別されるのか、
そもそもそうなのか・・・・

ここから先は

6,329字

¥ 10,000

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?