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「-NEXT-CONTROL-」


▼競争社会

相手より早く走らないと勝てない。
相手は自転車だ
相手は車だ
相手はヘリコプターだ
相手は飛行機だ、
相手のタイヤはゴムではない。
新しい素材だ。
あんなもの見たことがない。
もうズルしないと勝てない。

盗まないと勝てない。

陥れないと勝てない。

騙さないと勝てない。

このままでは負ける、
負けると支配される、

ズルをしている相手には

それ以上のズルをしないと勝てない。

小さい頃から子供を洗脳教育しないと勝てない。


なんでもいい、


どうやってでもいい、


と 、に 、か 、く 、


勝 ち が 欲 し い 。




この途中にいるのが君たちだ。

正義を掲げる組織でさえそうなっている
のを見れば誰にでもわかるだろう。

最終的にこれは戦争になる。
〇せば競争相手はいなくなるのだから。



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白髭の独自性で勝負しようという考えには賛成する。
各々が独自性で勝負できれば競争が起きないことは無いが、
極力競争できない土俵にもっていけば、競争が減る。
少しでも美意識や大切なものを維持し繋げられる。
過去日本が評価された本質はここではないだろうか?


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▼思い込みで歳をとった君へ。


「皆が僕を褒めた。」

「皆が僕を尊敬した。」

「皆が僕に憧れた。」

「僕は皆のスーパーヒーロー・・・」
・・・

自信をつけるために思い込ませるという教育がある。
「できる、おまえならできる、やれる!!!」
最高のパフォーマンスを発揮するために自分はできると思い込む。
思い込ませる。否定などしない。背中をひたすら押し続ける。
素晴らしい事だ。

だが考えてみてほしい。

それがもし他人に向けられたら?

「俺に不可能はない」

「45年間俺に不可能だった事などない」


「あいつは必ず手に入れる」


こんな人間に、追いかけられる事をイメージしてほしい。
こんな人間に、自分の大切な人が関わってしまったらと考えてほしい。

        狂人である。

     非常に危険な考え方である。

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

月のクレーターのランダムパターンの解釈英語版)。
パレイドリアに対する人間の偏見の一般的な例である。--------------------------------------------------------------

褒めるだけというのは非常に危険である。
もし他人に、背中を押されてその気になっていたとしたら、
押されなくなったら、歩みを止めはせずとも、
走ることはしないだろう。ちょっとしたことで立ち止まるだろう。

「思い込む」ことによって走り続けた人間は、
いつか現実を受け止められなくなる。


リスクをとってでも結果を出そうとし、原動力であった、

モチベーションの源であった、

他人の称賛を求め、


おかしなことをやりだす。


(昨今流行りの承認欲求もこれに近いのかもしれない。
愛情不足などではないかもしれない。)


「俺にできないはずはない」



どんどん追い込まれ美意識など捨て
プロセスを気にしなくなる。
そして「結果がすべてだ」と言い出す。
「そうだ、結果さえあれば称賛が与えられる。」
「バレなければいい」
とやり出す。

まさに今の川田だ。

彼の生態を年表にして見れば、わかりやすい。
これがよかれと思って褒め育てた結果、
美意識を失っていく過程だ。

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現代社会はバブルの夢を見続けているのかもしれない。
「必ずあの頃のようにできるはずだ」
「現にそういうやつもいるではないか」
「やり方さえ変えれば・・・」

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思い込ませてやらせた結果かどうかは、
晩年を見ればわかる。
狂った老人を見ればわかる。
細いをひたすら離すまいとしがみついている。
川田の胡散臭い子供時代の写真を見てもわかる。

思い込ませてモチベーションを上げるというのは、
結果を早めに出させるというのは、
背中を押す人間の都合なのだ。
(スポーツはまあ別だろうけdo、)

成功体験は早いほうがいい。

自信がつく。

リーダーとしての気質も早めに持っていたほうがいい。



が実は、その成功体験を、

「どうやって、得たのか??」


というところが
後々響いてくることを教育者達は無視していないだろうか?

子供が晩年になり落ちぶれていくころ、
その教育者たちはもうこの世にいない、
または引退しているだろう。
例え話を伺ったとしてももう引退した人間の言うことなど相場が知れている。
「これからは君たちの時代だ、好きなようにやるといい・・・」
無責任極まりない。聞かないほうがいい。

輝いていた思い込み時代と違い、

長い時間がかかって
表出する本質というものは、

意外と誰も見ていない。というか見れない。

当然の事だが、子供時代から晩年時代まで見れるのは本人と同世代だけだ。
だから真実は残せない、残っていない。


こんな所に、
同じ過ちを繰り返し発展しない原因があったりしないだろうか??
更新できていないのだ。できないのだ。

で、ここをどう克服するか?できるのか?

ここで一つ提案が・・・・


narayositomoさんの絵の模写

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