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「味方でいたい」

おひさしぶりです(はじめまして)。野花紅葉です。皆さんいかがお過ごしでしょうか、今わたしは豚を煮ています。

1月中旬からは怒涛のテスト期間でして、そりゃあもう真面目に勉強していました。今年度は「テストを受けなかった科目」というのが存在せず、至極当然なことではありますが今まで「テストを受けた科目」の方が少なかったわたしにとっては奇跡的です。誇張なしで例年の2倍くらい単位を取得しました。

さて、久しぶりにいつか台本にするnoteを更新します。


わたしは好きな人に対しては味方でいたいと思っていて(思い上がりかもしれないけど)。もちろん好きな人と意見が違うこともあるでしょうし、受け入れてあげられないこともあるでしょうし、もう知らね!って排除したい気持ちになっちゃうこともあるでしょうが、違うことをすり合わせたりあるいは違うまま受け止めたり、受け入れられるまで待ってみたり、あるいは受け入れられないままじゃあどう一緒にいるかを考えることはできる。

わたしにとって「味方でいる」ということは=全肯定することではなくて、受け入れたり受け入れられるように準備する姿勢というか、受け入れられないことを受け入れていく態度というか、つまり、簡単に言えば「思いやる」ということなのですが……カーーーーーッッ!!!!クソむずくねえかこれ??????

「味方でいたい」

頭ではそう思っていても、「なんで違っちゃうんだろう」とか「なんで受け入れてくれないんだろう」というイヤイヤ期みたいなもの23歳でも余裕で来ちゃうし、そうすると理解してもらうためのものだったはずの言葉もどんどん怒りの発散のためのものになっちゃうし、結果、理解させる気なんて毛頭ないくせに理解してくれないことを嘆くカスになっちゃうし。また自分が「味方でいたい」相手というのは幸運なことに相手もそう思ってくれている(少なくとも自分はそう感じている)ことが多くて、多いからこそ、その甘えみたいなものからどんどん自分は攻撃性を増してしまったり、あろうことか「味方なんだったら全肯定してよー!」ってめちゃくちゃな気持ちになっちゃったり。これのどこが味方への態度なんだよっていう。

書いていて本当にガキすぎて死にたいし、ガキっていうかモンスターですよね。「味方でいてくれないお前なんか嫌いだ、ギャーーース!!!!」ていう。その人は味方でいてくれてるよ……敵意を剥き出してるのはお前の方だよ……(あの時のわたしへ)。

心と頭が一致しないというか、信念突き通すのマジむずすぎっていうか、でも感じることって全然コントロールできないよねっていう。そういう瞬間がとても面白いなと思ってこれまで台本を書いていたのですが、最近のわたしは文章も書かないただのモンスターだったので大慌てでnoteを更新しました。あと、数日前にありがたいことにサポートの文章で「自分のどんな面ともしっかり向き合っている」なんて勿体なさすぎるお言葉を頂いたので、近頃のわたしの最も情けない面を文章にしてみました。全然向き合えてないよう……しかし、あなたのおかげで文章にできました。こういうお言葉を糧に文章を書いています、ありがとうございました。


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