私は愛されて当然の人間だ!

あれは小学生のとき。
教育ママだった母に「もう、じゅりちゃんのこと諦めます。」と言われ愕然とし、ちょっと待ってよ!私頑張るから!と泣いてすがったことを覚えている。

母としては、勉強をとことんやらず反抗ばかりする私に呆れて言ったのだと、今ならわかる。
がしかし、当時の私はかなりのショックを受けた。それは、自我が芽生えはじめ色々なことに対して反抗してしまうものの、根の部分では“いい子”でいなくてはいけない。母にとっての自慢の娘でありたい。期待に応えなければいけないという気持ちがあったから。
既に愛されているのに、今の私じゃ愛してもらえないんだと勝手に思い込んだ。

そして最近、彼にこう言われた。皮肉でもなんでもなく「じゅりちゃんのこと色々諦めてる。」と。
このセリフ、人生で2度目だと思った。と同時に、小学生のころの感情とは正反対で諦めてると言われて、笑っている自分がいた。全く傷つかなかった。むしろ「よかった〜!あなたも楽に生きられるコツを見つけられたんだね♩私と結婚してよかったね!」と、返した。彼は相手に期待しすぎるフシがあったので、彼にとっても良かったなと思った。期待していて裏切られるのって、辛い。そんな経験は少ない方がいい。

とにかく、私が昔に抱いた感情とあまりにも違い、不思議に思ったのでよく考えてみた。結果、私は“いい奥さん”にならなければいけないという気持ちがない。とゆうか、“いい奥さん”の定義がそもそもない。いや、もはや色々諦められていたとしても、むしろ自分は既に“いい奥さん”な気がしていることがわかった。

小学生から大人に成長するにあたって
自己肯定感がバリバリに育っていた。笑

彼が諦めているということは具体的に、家事がこなせていないとか、会話にならないwとか、飲みに出て遅くまで帰ってこないとか、好きな仕事しかしない、稼いでこないとか、しっかりしてない、頼りにならないとか、彼のぶんまで全部食べちゃうとか(改めて考えたらいっぱい出てくるw)そうゆうことだと思うけれど、私は他の部分で彼にいい影響を与えていることがたくさんあると思っている。
色々諦めなきゃいけなくても、私を奥さんとして隣においておくことは、彼にとって絶対的に得だ!笑

私は彼の自由や可能性を奪わないし、彼になにかあったら絶対守る、味方する。長所はとことん褒めて伸ばすし、短所は一旦無視しといたげる。笑 落ち込んでいたら、元気づけるしニコニコ癒す。ストレスが溜まっていてあたられたとしてもヘラヘラかわすし、アドバイスを求められたら真剣に話す。おまけで、ご飯もつくるよ〜笑

そんな私ははっきり言って、愛されて当然の人間だ!
そう思えるぐらいに、自分のことを好きなるよう自信が持てるよう努力してきた。そして、これからも鍛錬し続けていかなくてはならない。

生きていたら、傷ついたりショックを受けるようなことを言われることがたくさんある。
私だって、いまだにめちゃめちゃある。
だけど、それはその言葉を投げてきた相手が悪いのではないかもしれない。何事も受け取り方次第なのだ。相手に変わってほしい!なんでそんな傷つけること言うの?やめて!と言うのはお門違いかもと思うように私はしている。自分が変わればいい。相手に悪気があろうとなかろうと傷ついてしまったのは、自分のせいだ。

現に、私の母だって私を愛してくれているから、私を育てる責任があるから言ってくれた言葉なのだ。今、母に同じことを言われたとしても「期待に応えられなくてごめんね。でも、私はお母さんが大好きだよ!!!」と答えると思う。だって何かしら諦められたとしても、母にとって既に自慢の娘であると思ってる。これからもそう生きていく自信がある!

いちいち傷ついてしまうのは、自分の自己肯定感が低いからということもあるのではないかと思う。自分は愛されて当然なのだと思えるくらいの努力や行動をしていなかったり、自分を犠牲にしてばかりで自分の頑張りをないがしろにしていることはないだろうか。
もっと、自分はよくやってるなぁ!という気持ちを持ってもいいと思う。
自分なんて...って思ってる子がいたら、いいところを見つけて褒めまくってあげたい!!

誰からも愛されていない人間なんていない。
自分を信じて!

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