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夏惜しむ。

謹んで暑中お見舞い申し上げます。                     第三十六侯 「大雨時行 たいうときどきにふる」8月2日―6日                                               Great rains sometimes fall
暦の上では晩夏、大暑の末侯に入った。今時の雨は突然降ってくる。空が暗くなったかと思うと、大粒の雨が音を立てて屋根に打ちつける。慌てていると、ほとんどはすぐに上がる。でも草木も人間も水を欲する。夕立の後はものみな生気を取り戻す。
暑い暑いと言っていても四季のある、そして北から南まで長い日本列島。季節の移ろいは味わって過ごしたい。真夏を目いっぱい感じて夏を惜しんで暮らし、来るべき秋を楽しめるように。                 とは言っても、朝、水やりをして少し草など抜いていたらクラクラしてきて、慌てて冷房の効いた部屋に飛び込み冷たいお茶などを飲む始末ではある。

【街中で夏を感じる】                           建物の中はどこも寒いくらいの冷房が効いていて、暑さを忘れる。    仙台の街中のケヤキ並木。朝からセミが競って鳴いていた。セミも夏をアピールしている。朝10時前と4時以降はしのぎやすいが、この日も暑かった。              (写真のケヤキの向こうのビルはメディアテーク、伊東豊雄氏設計。)

メディアテークとケヤキ並木20217月

中心部から40分ほど走ったワイナリーのぶどう畑。途中の景色も田んぼも緑のグラデーション。見ている分には涼やかだが、こちらも車を降りるとヒグラシの大合唱。でも山の中で風が違う。友人夫婦から聞いて行って見たいと思っていた場所である。何しろ子供の頃住んでいた場所に近いこともあり魅かれていた。

wineryぶどう畑

東京から仕事で来ていた友人を案内した。席は二人掛けでガラス窓に向かったカウンター席。感染対策はどこも周到だ。窓の外はこんな景色。秋にはぶどうの葉が色づいて美しいことだろう。東京の友人は言葉が出ないくらい感激してくれたので、ご案内した甲斐があったというもの。私の生まれ故郷の近くである。

ワイナリーまでの田んぼの景色


【子供の頃の夏】                          ★花火                                                    時間はかなり戻るが、夏の夜の子供の楽しみと言ったら花火だった。両親が夏休みになると、花火はひと夏分用意してくれていた。母が縁先に蝋燭を灯し防火用に水の入ったバケツを置いていた終わった花火はバケツに入れるしくみだった。

年齢によって花火のグレードが違っていた。ダイナミックなものは、父が火をつけて手渡してくれて、火のついた花火をぐるぐる回して得意になっていたものだ。ねずみ花火は一番怖くて私は見ているだけ。なるべく平らな土の上に火を付けたらすぐ放り投げるとくるくる回って最後にパン!と音を立てて消える。                             皆で丸くなり、最後に楽しむのは線香花火だった。一番静かだけれどフィナーレにふさわしい。大きな火の玉からパチパチと火花が散り、歓声をあげる。火の玉を落とさない様にしゃがんで静かに持っているとだんだん小さな火花になり、音も静かになる。母が小さな声で『猫のひげ、猫のひげ』と唱えてみんなで見つめて過ごすのが何とも楽しかっものだ。最後は小さな玉になってポタリと落ちて終わり。                            そのあとは蚊帳の中に入っても花火の興奮でなかなか眠りにつけないものだった。もう帰ってこない大切なそして平和な思い出である                          ★アイスキャンディー                        当時はアイスキャンディー売りのオジサンが自転車でベルを鳴らして走っていた。コンビニもスーパーもない時代だから貴重だった。後ろにアイスボックスを積んで、真っ白い長いアイスキャンディーがたくさん入っていた。 残念なことに、これは我が家では買うことは禁止だった。友達がみんなオジサンの回りに集まっていた。母の言い分によると、衛生面で不安だったようだ。私は不満だったが素直だったので、言うとおりにしていた。     魚などの行商の人が売りに来る時は母は買っているのに、と内心思っていたが、我慢しているうちになぜか平気になるものだ。              たまたま友達の家にいた時、キャンディー売りのオジサンが来て、友達のお母さんが買いに走り、私もご馳走になったことがある。それはそれは美味しくて、ニコニコしながら味わって食べたものだった。今思い出しても同じ味のものは今はないと思う。                                ★西瓜・トウモロコシ                        あとは西瓜やトウモロコシが大好きだった。今の様にカットフルーツなどなく、丸ごと買って桶に入れて冷たい水で冷やして食べた。        農家の友達の家に行くと必ずもぎ立てのトウモロコシをどっさり茹でてドンと出してくれた。もう遠慮などしていられなかった。                                ★精進揚げ                             お盆でお墓参りの後、親戚の家などに立ち寄ると、お昼時であれば、大きな紫蘇でくるんだおにぎりに夏野菜の天ぷらを揚げてくれることが多かった。大きなヤカンには冷たい麦茶が冷やしてあり、ごくごく飲みながら食べたものだった。何十年も経つのにあの時の幸せな気分は今でも覚えている。  しかしこうしてみると三つ子の魂百までも。幼少時から食いしん坊だったことは認めざるを得ない。

【四季のある生活】                         海外の方をご案内していて、日本の四季の美しさに皆さん感激される。  シンガポールの皆様を連れてバスで奥羽山脈沿いに北上していた時、まわりの風景に感動されて、素晴らしい!の連発だった。聞いてみるとシンガポールには山らしい山はないと言うことだった。                      日本の森林率は68.5%。先進国の中(OECD)ではフィンランドに次ぐ森林大国である。そして火山国なので温泉や風光明媚な景色が多い。一方で地震や災害も多いというおまけはある。                                                                          贅沢を言えばキリがないが、四季のある国に生まれて暮らしているのは幸せだということ、思いっきりその恵を享受し、そして季節の食べ物も味わいたいものだ。東北の夏は短い。昨夜はもう虫が鳴いていた。

でも皆様、熱中症にはどうぞくれぐれもお気をつけてお過ごしください。 ひとりよがりの思い出話にお付き合いくださりありがとうございました。          ではこの辺で。(見出しの写真は夏の花、我が家の小さなムクゲ)


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