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他人の子どもに興味が無くても

女性には母性があるという。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典によると、

母性は,本能的に女性に備わっているものではなく,一つの文化的・社会的特性である。したがって母性は,その女性の人間形成過程,とりわけ3~4歳ころの母親とのかかわりによって個人差がある。今日では,母性を「生物学的に見て体の中に,受精,妊娠,生産,授乳することのできる生殖機能を備えている性」と限定
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ただ、私が幼いころは女性の母性は、「心」の方で言い聞かされて生きた記憶がある。「女の子だから面倒見がイイよね。」「女の子だから、おままごと好きよね。」「女の子だから、小さい子の面倒見てね。」

今の時代の子どもたちはそんなこと言われないのかもしれないけど。

私はこの女の子だから小さくてかわいい弱いものを愛でていくべき、に疑問をもっていた。よくわからない小さいものは守るべきだけど愛でる気持ちは簡単に生まれない、なんて偉そうに思っていた。

私には弟がいて、兄弟仲もよく、今でも弟が好きだ。

だけど、弟以外の子どもにそこまで興味を持ったことが無いまま成長し、10代、20代となり、成長したときに、人の子どもに興味が無いことが分かってきた。だれかが赤ちゃんを連れてきたら決まって取り囲み、「かわいい!」と歓声を上げ、抱っこをしたがる。子どもが泣いていたらあやしたくなる。そんな感情が出てこない自分に気が付いた。ただのへそ曲がりかもしれない。みんながみんな子どもにちやほやしないんだぞ。という。ただのゆがんだ性格。ただ、友達からその子の話をきいたり、何度もアウト、親しみからの愛情は少なからず出てくる。とにかく、一目見てすぐかわいい、守りたい、なんて思うことが他の人と違って出ないのだと思う。それに子どもはしつけが無いとただただうるさく不快に感じてしまうことも。だから無条件には愛情を注げない。

だとしても、私は母性のかけらもないのだな、と思うようになった。

一方で、話せる子どもが好きなことも分かった。なので、小学生くらいからの子どもには対応できる。

そんなゆがんだ自分に気が付き、ひとり悶々と悩んでいた。       

周りに友達や親せきの子どもが増えたころ、一緒に気ままな独身生活を謳歌している女友達がぽつりとつぶやいたことがある。

「自分、正直子どもが苦手。」

ああ。良かった。そうだよね。

それからまたしばらくたった後、子どもを産んだ友達につぶやかれたこともある。

「正直、他人の子どもには興味ないよ。かわいいとか思わない。ああ、子どもですね、みたいな。」

へえ。目からうろこ。

「友達の子どもにはかわいいっていうけど、親戚の子どもにかわいいっていうのはめんどくさいよね。正直、自分のテリトリーにいるせいかいつもうるさいし。」

なんてママも。マジか。

母性がない、(心の)と思っていた私も、子どもを持つことを願ってもいいのではないかと思ったのはその頃。

夫に、私は心の母性がないかもしれない、と相談したとき、

子どもができたら私はこう育てたい、とよく口にしている私には十分な母性を感じるといわれた。他人の子どもへの愛情は、あれば素敵だけど、みんなが持つべき必要不可欠のものではないとも。それに、大人は子どもに「テンション」でかわいいね~って言っているだけで、みんなほとんどがお世辞だよ。真剣に悩むな。必要なのは、自分自身の子どもへの向き合い方なんだよ、と。

そうか、私は心が子どもだったのか。

それに気が付いたとき、きちんと子どもを育てる決意がついた。

ただ、決断するのが遅かったせいか、病院に通う事にはなってしまった。

今定期的に病院に通う自分に不思議な気持ちになることもある。

母性の定義を勘違いしていたことで、女性としての自覚が足りないと自分で呪縛をかけてしまったのかもしれないと後悔する夜も。

ただ、じっくりと自分自身と向き合えたことで、前向きに母親になるための努力を行うことができている。

私がもし、わが子と巡り合えたら、私なりの子育てをし、他人への押しつけはしないようにしたい。そして、男の子でも女の子でも、○○だから、なんて言葉は発しないようにしたい。

なんて、まだ巡り合えていないし、ずっと巡り合えないこともあるけど。




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