2020年3月3日の日記「フィクションに求めること」

 絶賛放送中のアニメ「イド:インヴェイデッド」が面白いと聞き、今日はそれを見ていた。おもしれ~。最新話の9話まで全部みちゃった。これは最後まで見ます。浅~い感想。


 FF7リメイクの体験版が配信されたので遊んだ。おもしれ~。ゲームシステムがかなり良くできてて、アクションとして凄く楽しめる。斬新な要素はないけど、平凡な要素の複合でかなり丁寧な良質ゲーになってる。浅~い感想2。  

 
 僕がフィクション(ゲーム、小説、映画など)を楽しむ際、最も重要視することは、作品内のリアリティである。
 
 リアリティというと、やや抽象的なので具体性を述べていこう。
 例えば、科学ないし自然に反していないかというリアリティ。よく言われていることは、スターウォーズやガンダムなどの兵器の発射音だ。宇宙では音が鳴らないから、あのビーム兵器類の効果音があるのは、可笑しいという意見。このリアリティに関しては僕はどうでもいい。というより、この観点は単なる上げ足取りだし、何よりも無粋だ。置いておこう。
 あとは、人間の本質を生々しく描写するべきだというリアリティ。人の本質とは、自分勝手で醜いものであり極限状態におかれた人間こそが真のリアリティを放つという意見だ。デスゲーム系統の作品が一時期流行った頃、この考えを頻繁に見た。これも僕が気にするリアリティには該当しない。そういう作品があることは理解できるが、その本質とやらは、そのテーマを語る作品内で用いられるものであり、他の作品に用いる理論ではない。何より醜さだけでなく、純粋さや清純さも同様に人がもっている本質だと思う。
 他にも、コメディ作品に対するリアリティ(そもそもコメディにリアリティを追求したら成立しない)やスポーツ作品の試合中、長々と会話をするなんてありえないといったリアリティなどがあるが、僕からしたら全部どうでもいい。 

 では、僕が気にするリアリティは何かと問われると「登場人物が人間としてその世界で生きている(フィクションだと感じさせない)」ことだ。
 僕は、登場人物がキャラクターを演じている感、セリフを脚本家に読まされている感(その登場人物が心から発言した言葉ではなく、容易されたものを言っている感)を感じると途端に冷めてしまう。魂がないのが嫌なのだ。
 モニターの前の客を意識した説明じみたセリフ回しであったり、どう考えてもそんな言動をするような人物ではないのに、脚本の都合上そのように演じさせられたりと、登場人物の背景に、作り手の介入を感じさせないものを好む。
 要は、こんな人間いない。と思わせない人物描写を求めているのだ。
 キャラクターの発言並び行動、そして心情が人として辻褄が合っているのを望むとも言える。

 具体的な例を挙げよう。例えば流行っているから分かりやすい「鬼滅の刃」。アニメの2話に僕の言うリアリティが無いシーンがあった。
 アニメを見たら一目了前なので、細かい描写は割愛するが、自身の髪の毛を操作できる敵が髪を使って主人公の斧を奪おうとするシーンがあった。
 主人公はそれに対して、斧を投げ捨て敵ごと木に突き刺すことで相手の動きを封じることに成功する。そこで敵はこう言ったのだ。
 「斧を奪うつもりで絡めた髪がもつれたぁ!」
 これ。これだ、僕の言う脚本に用意されたセリフは。
 こんな不自然な言葉を放つ人がこの世にいるか?大体、誰に向かって発言しているんだその状況説明のようなセリフは。
 普通なら「動けねぇ!」とか「くそっ髪が!」などの言葉を発し、もつれて動けない事実は、絵や音で描写すべきだろう。

 今の一例は、セリフ一つなので、そこまで目くじらを立てるものではないが、セリフに限らず行動や心情で嘘っぽさを感じると、僕はどんどん冷めてくる。キャラクターは自我に対して誠実であって欲しい。説明がやや抽象的なので、伝わらないかもしれないけど。
 
 僕のリアリティ論は、人によってはただの上げ足とりだと感じるかもしれない。しかし、そんな意図は一切ない。僕はただ、フィクションを楽しむ際、これは作り物で存在しない世界のものなんだと、極力感じたくないだけなんだ。

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