2020年3月4日の日記「自己愛・他者愛・愛の愛」

 先程、実況者グループのMSSPが無観客ライブを行い、スパチャが1億を超えたらしい。すげ~。スパチャ然り、無料で楽しめるコンテンツに客やファンがお金を払うの見ると、自分と全然関係ない出来事なのに、嬉しくなっちゃう。愛だね。
 25年前に松本人志が、支払う金額を客に委ねた料金後払い制のライブを行った際は、0円で帰る人が多くいて赤字をこいたと言っていた。
 現地に行くお笑いライブと、ネットで見る音楽ライブの違いや客層の差などはあるが、民衆の、好きなものにお金を払うとコンテンツが潤うという意識は昔と比べて大きく向上した印象を受ける。何一つ明確なデータがないので、完全に勘だが。 

 そう言えば、中高のときはソシャゲに課金して強くなることは、狡いという空気が蔓延していた。無課金こそが清い姿という風潮というか。
 単に自由でできる金が少ない学生の嫉妬や痩せ我慢で、その手の発言をしていた節はあるだろうが、僕自身も当時課金を1円もしていなかったことから、どこかそれを信じていたのだろう。
 あの空気感は今の学生にもあるのだろうか。当時のソシャゲ黎明期とコンテンツが氾濫して生活に溶け込んだ今とでは、課金への意識が大きく異なっているだろうから、無い気がするな。もし無いなら良いことだ。これも愛です。

 
 日記を一ヶ月近く書いていると、自分の傾向が見えてくる。そこで、過去の日記をジャンルごとに分類してみた。
 ・コンテンツの構造分析 7本
 ・自己の内面分析 6本
 ・普通の日記 4本
 ・思い出話 3本
 ・該当無し 3本

 ちょっと笑ってしまうレベルの偏りだ。興味や意識が、他人や社会に全く向いていない。徹頭徹尾、自己分析と自分が日常で触れているコンテンツへの探求のみである。恥ずかしくなっちゃった。過剰な自己愛だ。

 確かに思い返すと、時事に全く触れていない。丁度日記を始めた時期くらいから、国内外で大きな出来事が多発し、社会やネットを問わず常に荒れている印象を受けていたが、そこに対しての言及を全くしていない。何故だ。
 これでも普通の感覚を持っている平凡な一般市民だという自覚があるので、毎日目にするニュースを見て、人並みにネガティブな意見や感想を持つことはある。しかし、それに対する不満を日記で発露したり、他者と交流で話題にする気が全くしない。恐らく、それらに対しての興味の優先順位が極端に低いのだろう。だから、話題は自ずと内面に向いている。

 この傾向が良いか悪いかは、捉え方次第だ。
 他人や社会にネガティブな発言をせず(コンテンツにネガティブな発言をすることはある)、自己完結している様は、比較的他人を傷つけない。これはいいことだ。
 しかし一方、社会に参加せず、自分のことしか考えていない自己中とも取れる。国民としての自覚が足りていない。

 試しにYahoo!ニュースに言及してみるか。トップから適当に拾おう。

 セクハラはいかん!反省しよう!

 多いな~。半分黒に塗り替えて、巨大なオセロにして~。

 可哀想。

 
 全部ど~~~~~でもいいいいぃぃぃっぃ~~~~~!!!!!!
 だって、社会に対しての言及は皆がやっていて、誰かが自分と同じ意見を発言してるじゃん!
 僕の内面は、僕以上に詳しい人がいないし、自分がどういう人間かの答えなんて未だにさっぱり分からないから、そっちを考える方が楽しいじゃん!
 
 これ、未だに大人になり切れていない恥知らずなガキの考えなんだろうけど。日記でしかこんなこと書けないね。

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