カウンターと小休憩
日曜の夕刻、買い物に出ようと思うと雨が降る。
「何もしない1日でいいのか」と娘が憤慨するので、粉を練るレシピ本を久々に開き、夕飯の献立を選んでもらう。生地に具材を挟んで焼く簡単なもの。生地を寝かしている間に雨脚が緩んだら、散歩がてらスーパーへ向かおう。サイズアップした娘の体操着へアイロンプリントで校章をくっつけるついでに、久しぶりに給食袋にもアイロンをかけるが、昔はもっとマメにやっていた気もする。
6月になった。
ずいぶん疲れた。会社で担当するプロジェクトの山場も、私的開催プロジェクトも、我が家の食卓を囲む来客も…満員御礼大行列だった4、5月のカレンダー。
土日の多くの時間を掃除に費やして、ようやくそこそこ整った部屋に、自分のためにお香を焚いて椅子に腰をおろしたら、もうすぐ月曜日。
「もうすぐ月曜日」
こんな悲哀の言葉も、悪くはない。アイロンを丁寧かけたり、採れたての野菜で毎食献立を立てたり、体に優しそうなケーキやマフィンを焼いて、明日が何曜日か特に関係ないこともあった。土日祝に体力いっぱい接客し、平日にちょっと体を休めつつ、一本いくらの執筆をする日々もあった。たった今でも、身近な人の目標達成の一助として、金銭介さず心血を注ぐシーンもある。私の世界にだって、いろんな舞台がある。
最近、近所にもう一つ舞台ができた。黄色いタイルのカウンターが可愛い小さな飲食スペース。私は何一つ身銭を切っていなくて、この場所を借りた八木ちゃんに「さあ、さっさと始めよう」と言い、「一人だと忙しいやろうしみんなでやろうや」と「みんな」も焚きつけただけのズルいポジション。
この場所の名前を、「スープの冷めない距離」と名付けさせてもらった。「みんな」が、文字通り「スープの冷めない距離」に暮らすか働くかをしているからだ。私は、どうもこの「スープの冷めない距離」の関係性というものが好きで、限界集落で生活していた時代も、街中生活の今だって、充足感にこの関係性の有無が影響している。
念のため言うと、ここはスープ屋さんではない。卸売市場の場外である朝の街だから、朝ごはんを提供するつもりだったり、夜、人が溜まる酒場となる気がする。ほぼ何も決まってないけどオーナーの八木ちゃんが、何言っても「ええやん」「最高やん」って言ってるゆるいムードがいいなと思う。
一応決めた実験的なプレオープンの日は、私のカレンダー大行列の中に紛れ込んでいた。(私だけでなく関係者全員それぞれそうで綱渡り的に迎えた気がする)私が別のイベントの後、遅れて店に入ると、「こっちこっち」と既にカウンターに入っていた「みんな」のうちのひとり、この場所の元のオーナー京都R不動産の水口さんに手招きされて、カウンターの中に立った。
カウンターの内側、そこは最高に気持ちいい舞台。自分の心がみるみる充電されていくのが分かる。カウンターの外側と程よく境界線を引きながら、ここ以外の舞台で見てきた景色を、少しずつ引き出して会話する。「もうすぐ月曜日」の悲哀ソングも、丁寧にアイロンをかけた夕暮れ時の匂いも、全部、糧で肴。
日々の炊事は好きではないけれど、美味く出来たら、こんな時のツマミに流用できると思うとちょっとだけやる気も起こる。
片付いた部屋に見惚れつつ、また夕食の準備で汚して、片付けて、一息ついて。悲喜こもごも。生活は続く。
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