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2021.06.24

気分が悪い。また一日を無益に消費してしまった罪悪感がある。
Twitterで書けば怒られるようなポエムもnoteなら許されそうなので書こうと思う。

「何者かになりたい」「(技術力が)つよくなりたい」と散々言っていたものだ。いや、言わなくなったと勝手に勘違いしているだけで本当は未だにそういうことを言っているかもしれないし、少なくとも思うことはある。
若いうちは無限の可能性がある、という聞こえのいい言葉に騙される人はたくさんいる。何者か、ってなんだろうか。ただ自分の観測範囲内の人よりも少し技術があるからといってそれがなんなんだろうか。人類全体から見たら多分それは一切の価値がない。私が今、価値が生まれるだろうと思ってワクワクして作っているものも世間から見たら、もしくは数年後の自分から見たらガラクタに見えてしまうのかもしれない。そう思うと、辛い。

ここ数年で「人と比較しなくなること」が、ある意味人としてのステップを一段上がったことなんじゃないかなと思うようになった。まあ別に海外のトップレベルの同年代層、国際会議の論文をドンドン通したり、世界規模の事業をやったり、たくさんの人を救うものを生み出したり、そういう人たちを知った上で張り合っているのならいいんだけど、「そういうトップ層は比較にならないから」「環境の違いがありすぎて」と意識的に比較しないようにする(負けるから、傷つくのがわかるから)、人と比較する人にはそういう矛盾がある。無駄に実績に拘ったりする人もそう。

でも段々と視野が広がることで一種の諦めを得る。他人ではなく、自分が何をやっているかに注視するようになる。そうすることで、変な柵みたいなものから解放されて自分をさらに高められるようになる...

...ように思える。
自分はその比較から抜け出している長い長い道の途中にいるような気がする。抜け出し始めてから40%くらい来ているつもりだけど、実際は20%くらいかもしれない。
こういうのは大学に行けば案外すぐに抜け出せるものなのではないかなあとも思う。まあ、何者かになりたくて大学に来る人よりはよっぽどマシだ。皮肉なことに、比較で結論づけてしまった。

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