2021.06.22
最近はバタフライエフェクトについて考えることがよくある。
私はたぶん、運良く。というか、同い年の自分よりも遥かに優秀なプログラマと出会って、彼女を目標にしてきたモチベーションと、あとは彼女以外にも優秀な人がたくさんいることを知ってから劣等感をどうにかするために頑張って来れたところがある。でも、彼女に出会わなければきっとプログラミングに真剣に取り組むことはなかっただろうし、もっと凄惨な、違う道を歩んでいたと思う。逆に、早くからプログラミングに興味を持っていたら、もっとマシな人生を送っていたかもしれない。
家庭環境はかなり恵まれている。友人関係もそれなりに上手くやれている。なのに、中学3年生の時に半年ほど不登校になってしまった時期があった。起立性調節障害に近い症状があったが、たぶん小学校まで自己評価と中学進学以降の自己評価の大きなズレによる違和感やストレス、それを自分で持ち直すことができない自分の弱さがそうさせたのではないかな、と今になって思う。
自分は何か大きな逆境を乗り越えなければいけなかったわけではない。それなのに、人生に悉く失敗してきた。
こうやって懺悔することで失敗に理由を与えたがっているのだろうなと思う。仕方ないと思いたがっているんだと思う。
書きながら、いまいち何を主張したいのかわからなくなってきた。どうせこの記事が他者からたくさん見られるというわけでもないけど。私がダメな人間だからといって何か社会に影響を与えるわけではない。ただ、優れた中等教育からも私のようなダメ人間を産んでしまうということは客観的に見れば驚きだ。反省したい。
何に悩んでいるかはやっぱりいまいち分からなくなってきた。どうしようもない劣等感は思い悩むのではなくこうやって書き起こすと案外どうでも良くなるものなのかもしれない。
冷静になれば、私が別にどれだけ人生に失敗しようと、社会にとってはどうだっていいことだ。なら良い。
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