見出し画像

もあ

電話がかかってくるのがとてもこわい

実は最近、実家から独立する準備をしていて、引越しなどで結構電話がかかってくる

こわい

人と話すのはもともと苦手ではなかったし、特別苦手意識もなかった

中学生くらいの頃から大人と話すことも結構できる子で、二度と会わない他人とのコミュニケーションは得意な部類だった

それが、今、電話が、大人が、他人が、すごくこわい

もちろん、精神を病んでいるからだとか、人と接する機会が減ったからだとか、理由はほかにもいくらでも見つかるんだけど

"身内"のことがすきになったから、相対的に"他人"が嫌いになってしまったのかなと、そう思うと結構納得がいくなあと思いまして

ここでいう身内というのは、血の繋がりのことではなくて、自分が"身内"だなあって思っている人間たちの事なんですけど

博愛主義で社交的だったわたしは、きっと誰のこともすきではなくて、わたしはそれを人間的な成長だと感じていたけど、その尺度だと社会に生きてる人たちの殆どがわたしよりもすごく下のランクで生きていて、それがダメなことだとはもちろん思わないけど、でも、好き嫌いがあるくらいで罰せられることはなくて

これはずっとわかっていた事だし、当時はそのつもりで人々にやさしくしていたけど、わたしが出会う全ての人を思いやっても、その全ての人がわたしを思いやってくれる訳ではなくて

全ての人に思いやりを持って接する事は自分にとっても気持ちがいいし、それをしている人のことはもちろん否定しないけど、でもわたしはまだ未熟だから、やさしさを100%の悪意で返されたりすると悲しくなったり疲れてしまったりすることがあって

自然と、ゆっくりと、わたしのやさしさに優しさで応えてくれる人を好くようになって、人のことをすきになって、"身内"ができて、相対的にそれ以外のことがすきではなくなって、もちろん他人だからと言って傷つけるようなことはしないけど、でも、無駄に愛想を振り撒くのができなくなりました

博愛主義、やめました

ってそれだけ聞くと「ええっやめない方がよくない?」って発言なのですが、この社会で幸せに生きるためには最適解かなって個人的に思っています

わたしはいまが1番しあわせです

すきではない人、嫌いな人ができたばかりで、慣れていなくて、どうしたらいいのかわからなかったり、しんどくなってしまったりするけど、慣れていきたいです

こわい電話も多いけど、嬉しくて楽しくて超しあわせな電話もあるので、そのために生きます

ありがとうございました

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?