「怪物」について

※この記事は映画「怪物」のネタバレを含みます。

怪物を観て色々思うことがあったのでここに記録しておこうと思います。

・何気ない一言で人を傷つけてしまう可能性があること(堀先生の「男らしく」、お母さんの「普通に結婚してほしい、お父さんのように男らしくなってほしい」など)
・その人にとっての普通が、他の人にはプレッシャーだったり普通じゃなかったり。
・それぞれは主観でしか物事を見れないので、自分は正しいと思い込んでいる。
しかし、自分にとっての普通が他人にとっての異常になり、それが時と場合と人によって増幅されてその人が「怪物」に見えてしまう。
・それぞれが怪物になったのにもいきさつがある。
・校長先生があそこまでして学校を守りたかったのは、自分の罪を被ってまで、校長という立場を守り抜いてくれた夫の存在があったからなのでは?という考察
・みなとよりは、この先二人で一緒になれないならせめて今一緒にいたいという思いで嵐の中廃電車に行ったんだろうか。
だったら二人が絶望しなくてもいい世の中を作るべきだよなと思った。
・保利先生があのタイミングで飴食べたのがほんとに謎すぎる!(あれが堀先生の異常性の一つなのだろうか)
・保利先生が彼女といる光景は、他人から見たらキャバ嬢といるように見えたのだろうか。やはり、人は主観でしか物事を見れないので、どうしてもその人への偏見とか思い込みによるバイアスがかかってしまう。
・みなとが髪を切ったり靴を片方失くしたりするのを見て、私も最初いじめかな?と思った。でも実際は違った。断片的な事実や人の話だけを聞いて真実を考察することは危険かもしれない。やはりそこにも、主観による偏見や思い込みがかかってしまう。もっと多角的に、他の視点からも事実を集めなければ、真実は分からない。そもそも真実なんて人によって変わるのでそんなものは無いのかもしれない。
・猫を埋葬するシーンや、生まれ変わったらの話は、二人が最後死ぬシーンの伏線だったのだろうか。
・校長先生が「くだらない、一部の人が受け取れる幸せなんて幸せじゃない。みんなが感じられるものこそが幸せだ」みたいなこと言ってたの、なんか響いたな。

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