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進化

思えば、大学生のときが一番生きやすかったと思うし、人間らしかったと思うし、自分らしかったと思う。

服装なんて特にそう。
今思えばなんだあのコーディネートとか、写真見返しては思うことも多々ある、思うことの方が多いけど、
きっとあの時は自分がその時に一番着たい服を着ていたんだろうから、楽しかった。

金もろくにないのに電車で1時間かけては、1人で下北沢までよく服を買いに行ってた。そこまで服が好きだったし夢中になってたし、楽しかった。

自分が着たいように着てただけだけど、お洒落だと言ってくれる人もいた。そこから古着に興味を持ったと言ってくれた人がいた。褒めてもらえたら嬉しかった。

あとは今を大事に生きていたとおもう。あの時は多分なんにも考えてなかったけど。
バンドのライブ、たくさん行ってるねなんて言われてたけど、今観たいから、今好きだから、好きなものに全力で毎日過ごしていた。

好きな曲を聴いては死ぬほど心に沁みていた。今も特に夜、1人部屋でイヤホンから音楽を流し込めば、泣くほど心動かされることはある。
でもなんかあの時は些細なことでも色んなことに一喜一憂して、勝手に忙しかった。
良くも悪くも周りなんてどうでも良くて、ライブに行ったってそれこそ常識の範疇で周りなんかどうでもよかった。

最近なにか色んなことの正解がわからないな、とおもう。この前東京までデザインの展示会を見に行ったら、尚更よくわからなくなった。
理解出来た気になるのは簡単だけど、正直に言うとわたしにはよくわからなかった。

自分がどんな自分でいるのが正解なのか、どんな自分だったら自分自身が好きになれるのか、特にそれがよくわからない。
それこそこっちに戻ってきてからなのか、社会人になったからなのか、他にも理由があると思うけど人の目が前よりも気になるようになった。
通りすがりならどうせ一回どっかですれ違って多分もう一生会わないし、何なら一回一緒に飲み行ったりしたってたぶん生涯の付き合いにならないだろう人もたくさんいるし、
気にしてる気力が勿体無いとはおもってる、わかっているつもりだけどどうも気になる。

自分を持っているとおもうよって前誰かが言ってくれたけど、わたしもそうかなって思っていたけど、最近おもう。そんなことないなとおもう。
自分を持っているとは思うけど、思い切れないよねってまた別の誰かに言われて、それがすごくしっくりきた。

何をするにしてもその周りを薄い柔らかい膜が覆っていて、それをぶち破らないとなにか変われない、劇的なことが起こらないような気がする。
平凡って何を持って平凡かわからないけど、平凡な生活を送っているとおもう。せっかくならそこから脱出したいとはおもう。
でもその薄い膜を破ることがむずかしい。自分でも薄々気づいているけど、たぶん何かを全力で楽しんだり、全力で何かする前にどこかでちょっとだけストッパーをかけている気がする。たぶん人の目が気になるから。

そのちょっとのストッパーをぶち壊して、なにか久しぶりに全力で楽しめたら、思い切ってなにか出来たら、少しだけ生活が変わるかもしれないし変わってほしい。

今年に入って出来るようになったことなんてなにかあったんだろうか。全部が中途半端、デザインの勉強も生活のすべてが。
先のことが全くなにも見通しがたたなくて、こんな生活でよかったのかなんかどこか心が不安定なまま毎日過ごしている。

別にすぐにじゃない、すぐになれたら一番いいけど、芯のある、自分をちゃんと持ってる人間になりたいね。
わたしがかっこいいと思う人はみんな、自分を持っていてそれを貫いている人達ばっかりだから。それが好きなことでも仕事でも精神的な何かでも。

積み上げてきたものと勝負しなきゃ勝てねえってさ。

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