フレンチのフルコース


最近うまく吐けない。
べつに拒食症でも過食症でもないんだけど、胃がなにかを受けつけない、ということが増えてきてしまって、食べてからずっと胃ん中がもやもやしてる感じで、それで吐こうとしても吐けない、みたいなのが増えた。
考えすぎ、と母や姉からは言われるけど、苦手な食べ物というのはある。

昔からどろどろした肉が苦手だった。
父親が継母とその娘と、わたしと姉を連れていくリッツカールトンのコースには、そういう長時間煮込まれた肉、とか、犬の餌みたいなゼラチン状の、ゼリー状のものがいつも入っていて、そうでなきゃトリュフがふんだんにのったパスタとか、
そういうのを食べるたびに、2段ベッドに登ってからいつも視界がぐるぐるして、夜中にトイレでゲエゲエやったり、シーツを汚したりした。

今はもうシーツを不意に汚すなんてことは滅多になくなったけど、代わりに気持ち悪さがずっと残るまま夜を過ごさなきゃならないことも増えて、そのたびに最悪だと思う。
口に指を突っ込むのは嫌だし、いつまでも便器に向き合ってなきゃなんないのも嫌だし、もう全部嫌だ。

あのやたらと遅いフレンチのコースで、というかフレンチのコースなんてだいたいあほみたいに遅いのだけれど、継母と呼ぶのもしっくりこないあの人は、いつもちっちゃくちっちゃく肉や魚や野菜を切り分けて食べていた。
髪が長くて黒くて、肌がぱさぱさしていて、わたしたちのことなんて一ミリたりとて好きじゃないくせに、好きな男、まあ当時からもう好きではなかったかもしれないけど、奴の言うことだから仕方なく自分たちの娘と前妻の娘を会わせてたであろう、彼女。

子供心に、この人わたしたちのこと好きじゃないんだろうなというのが伝わってきて、それでもいろいろ話しかけてくれたり、ショッピングに連れていってくれたりするのが、余計薄暗い感じがして、怖かった。
したくもないことを好きな人に嫌われたくないからしなくちゃならない大人の陰鬱さみたいなものが滲み出てて、暗い人だなと思っていたけど、今思えば父親がわたしたちと彼女たちを引き合わせること自体が狂ってただけで、彼女自体はべつにもともと暗い人じゃなかったんじゃないかとも思う。

次女で、可愛がられて育ったらしい、ろくに働いたことのないお嬢様。
たぶんもっとけらけら笑えたりする人なんだろうけど、父親と結婚してから、気が狂いそうになる夜をめちゃくちゃ超えてきたんじゃないか。
こんな多少金があるだけで変わってるケチなおっさんとの子どもなんか堕ろせばよかったのに、どこがよかったんだろう。欲しくてつくったのかもしれないが。
やっぱり金がありそうなところが魅力的だったんだろうか。歳の割には若くて見た目も悪くなくて、どこかしこでも音楽が流れたら踊ってしまうような、そういう少年心と形容されるような部分に惹かれたんだろうか。

それは無邪気とかウィットに富んでるとか、そういうふうにも言えるのだろうけど、実際のところは生活に根ざしてない、とも言えるはずだ。
本当に、父も母も、見た目はそこそこよくても、人と生活をするということに関しては致命的な欠陥がある。見た目がいいからこそ、欠陥が手付かずのまま今に至るのかもしれないが。

父のことも母のことも、解りたい、という欲求は随分減ったけれど、今になってその女の人のことを少し考えてしまう。
ざらざらした肌の、黒い服ばかり着る陰鬱そうな女の人。
もっと明るい色の服を着たら、髪を結んだら、絶対もっときらきらして見えるのに、背も高いのに、いつも自信なさげだった。暗い女だった。

あの人の娘はなぜかわたしたちによく懐いていて、本当にわたしたちのことが大好きで、そういうことも彼女にとっては許しがたいことだったんだろう。前妻の娘を実の姉のように慕う我が子なんて、見たくないに決まってる。
となると、やっぱり無遠慮というか意味不明な催しを定期的に開催していた父親に非があるわけで、常識だとかモラルというか、なんかそういうもんがとことん欠けていて、なおかつ人の気持ちがわからない人間というのは、それだけで罪だ。
とことん関係のない赤の他人ならどうだっていいけど、その人がわけのわかんない奴でも全然構わないけど、選べない身内にそういう人間がいるというのは、ものすごくついてない。

父がもっとひとりの女を不安にさせたりしない技量があれば、あの人はわたしたちに聞こえないよう別荘で泣いて怒ったり、次の子どもができないと泣いたり傷ついたりしなくてもよかったはずで、
そんな技量も共感性もないからこそ彼は彼で、毎回他人を傷つけたり悲しませたりさせてるわけだけど、

親がひとりの人間としてダサいというのは、嫌なもんだな。
父も父だ、もういい加減、母を見習って新しく誰かに愛してもらおうとするのを諦めたらいいのに。まあ母もおそらくはいつか誰かと、という気持ちはなきにしもあらずだろうけど、それでもたぶんある程度は諦めているはずだ。
自業自得という言葉の意味を背負って、一生焦燥感に身を焦がしながら生きていけばいいのに。
これ以上女たちを不幸にさせるのはやめてくれ、みっともないから。

もうお弁当も作ってもらえなくなったらしいよ、と姉が言っていた。晩御飯も食べるとしても外食なんだってさ、とも。
なんて息の詰まる結婚生活なんだろう。それなのに離婚はしないというのが、あの人が父に対して唯一できる復讐なんだろう。悲しいね。
その家にいる半分だけ血の繋がった女の子は、どういう気持ちなんだろう。彼女は幸せになれるんだろうか。物心ついた頃から親が不仲だとあとあと大変だろうから、それだけが本当に可哀想だ。わたしには姉がいるからまだそれなりに救われているけど、あの子には本当の姉も妹弟もいないし、今後できることもないんだろうな。

下半身を優先していろんな人間に苦痛な思いをさせてきた男に対して、虫唾が走る。
でもたぶん死んだら泣くんだろうな、ということもなんとなく感覚的にわかる。あの母娘に会うのもきっと父の葬式のはずだし、遺産は正直欲しいっちゃ欲しいけど、他にも孕ませた子どもが何人か出てくるらしいし、どうせ雀の涙ぐらいの額だろうから、葬式には行かなくてもいいのかもしれない。いやでも、やっぱ面白そうだし少し見にいきたいかも。姉が一緒に来てくれるのなら行く。
なんか吐き気ましになってきたな、気のせいかな。
遺産、どんぐらいあるんだろうか。めちゃウマなフレンチのコースが5回ぐらいは食べられる額ぐらいはあるといいな。



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