父方の祖母と戦争

父方の祖母は素直で真面目で優しい人だった。
お寺の長女として生まれ、弟妹の面倒を見ていたせいか、責任感が強い人だった。マイペースだったが、周りの人をよく助ける人だった。
そんな祖母の語った戦争の話。

おにぎりと上野駅

祖母の母、私にとって曽祖母は東北の田舎の出身で、終戦直後は上野からの電車に乗りお米をもらいに何度も行ったらしい。
母と祖母、そして1番下の弟を連れ、上野駅から電車に乗って東北に。帰りはもんぺの裾にお米を隠して家で待つ弟妹に届けるという道のり。
上野駅には戦争孤児の痩せた子ども達がいっぱいいて、こちらを見ていたらしい。「帰り道で食べなさい」と持たされたおにぎりは、結局食べる事が出来なかった。

松の木

戦時中、女学生だった祖母は軍需工場で働いていたらしい。その日も仕事を終えた祖母は工場から友人と歩いて帰っていた。そこに戦闘機がやってきて、機銃掃射を始めた。祖母は近くの松の木の下に無我夢中で逃げ込んだが、隣を歩いていた友人は逃げ遅れ目の前で息を引き取った。
つい先程まで話していた友人が事切れているのは想像するだけであまりにも残酷な光景で、祖母はこの話を一度しかした事がない。優しく責任感のある人だったから、友人を助けられなかった事を悔いていたのかもしれない。

終わりに

祖母は「自分の経験を語る事が過ちを起こさない事に繋がる」と語っていた。
私は病気で記憶力が悪く、過去の事も現在の事も簡単に忘れてしまう。だったらせめて、大事な事はどこかに書き残しておく事が必要かなと思い筆を取りました。

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