嘔吐物

タイトル通り、消化しきれずに、吐き出した言葉だから、そういうの受け付けない人に届いてしまってたら、ごめんなさい。

そっと見なかったことにしておいて。

だったら、公開するなという声が聞こえてきて、吐き出したいんだと、言い訳をする。

自分のお腹の中に入れておくのは、気持ち悪くて、ごめんなさい。

有料にするってのも考えたけど、
「見たい人」に見て欲しいんじゃなくて、
「見てくれる人」に見て欲しいから、有料にするのも違う気がして。


私が今じっと見ているのは、クリスマスでも、大晦日でもなくて、その間なんだけど。

ちょっと、ずれていていいと思わない?

どこかに行きたいわけでもないけど、少し離れたところに行く。

何かあるわけでもない。
ただそこに人がいるらしい。

「どんな人かなあと思ってた」
と思ってた。
実は、もうどんな人でも、いいと思ってた。
そこにいてくれたらいい。
それだけで、嬉しい自信がある。

わざわざ行かなくても、たぶんそこに人はいる。
なのに、当たり前なことを確かめに行く。

確実に勝てる試合と分かってても、前の日に、なかなか寝つけないのは、昔からの悪い癖だ。

きっと、そこには人がいる。
自分が嬉しい自信はある。

相手の喜ぶところは想像つかない。

正しい想像力が育ってないからか、
楽しみにしている
という言葉に、相手の優しさを感じながら、相手を裏切るような罪悪感を感じる。

ごめんなさい。

だけど、謝れるってことは、許されるって思ってるんじゃないかと思えて、自分の魂胆が見えて吐きそうだ。甘えてる。
その人の優しさに気づいてて漬け込んでいる。

思い返せば、「ごめんなさい」と泣きじゃくる自分は、いつでも許されることを期待してた。
よく躾けられた犬が、芸を披露し誇らしげな顔で、ご褒美を待っているみたいに。
「いいんだよ」って言葉を待っている。

「いいんだよ」が待っていないのに、「ごめんなさい」と言えるほどの勇気がない。
ご褒美がないのに、お座りできるほど賢い犬ではない。
卑怯なんだ。

本名の私が、こんなこと言ってたら、周りからそんなこと言ってないで、そんな暇はないよ、働け働けと言われる時期だ。
でも、『千と千尋』の千が、ちゃんと本名を取り戻せたように、“こっち”で何かをしなくちゃいけない。

そうしないと、本名の私なんて消えてなくなってしまいそうなんだ。
あれ?もう、それでもいいのかな。

やっぱり私の例え話は、よく分からないね。

吐き出したのは、きっと寝不足のせいだから、吐き切って、よく寝たら、すぐによくなるよって、無責任な。

嘔吐物は、吐き出されたものじゃなくて、自分本体なんだよ。

綺麗な自分を見つけようと、掘り返して、掻き混ぜてたら、余計に汚いところが見つかった。

嘔吐物だから仕方ない。

そういえば腰が痛い。

おやすみおはよう