石ころと不協和音と

年末、新幹線に乗った。
私は、喋れない人だなあと思った。

窓際、指定席。
隣に座る人はいなくて、ぬぼーっと座ってた。

私にとっては、ただの通過点。停車駅がアナウンスされる。
やっと3分の2のところまできたなあと思った。

通路の向こうに座ってた人が、次で降りるんだろう。幼稚園ぐらいかなあ、小さい子を2人を、せかせか急かす。
車内の最前部、停車駅にまもなく到着することを知らせる日本語の表示に続いて、英語がタラタラ。

2人の子に上着を着せながら、その人は流れてくる英語をデタラメに読み上げる。そして眠そうな2人に「もうすぐ着くんだって」って。

それを横目に私、「ブレイク」ちがう。「brief」やん。

思ってしまってから、気づく。私が喋れない人なのは、こういうところだよなあ。

デタラメ読みでも、一緒にいた2人に言葉を届けていたのは、その人で、一方で私は、その言葉を聞いてデタラメだと思ってしまう。

こういう人が、人を喋れなくする人であり、喋れない人なんだろうなあと思う。

それは英語に限った話ではなくて、普段から使う日本語にも言えることだと思う。

もっと言えば、正しく言葉を知っているかどうかよりも、もっと根本にある、“喋れるか、喋れないか”を左右する部分だと思った。

私は一応 毎日、日本語を話すし、英語だって単語や文法を全く知らないわけじゃない。

でも、私には、新幹線で感じたように、人の言葉の揚げ足をとる心があって、人や自分を喋れなくしている。

正しい言葉しか喋りたくないと思っている私の言葉よりも、言葉を届けたいと思っている人の言葉の方が、それはもう比べ物にならないほど、きれいだと思う。

そんなきれいな言葉を使える人でありたいなあと思う。
宝石じゃなくても、宝物の石ころがある。

noteには、たくさんきれいな小石がころがっている。

そんな小石を、蹴っ飛ばさずに、そっと手に取り、宝箱へしまうことができるかな。
自分の大切にしている石ころを、そっと取り出して、見て見て、と言えるかな。

あの人へ届けたい言葉は何だろう。

最近 触っていなかった電子ピアノの鍵盤を4つ選んで、低い音から順に鳴らしてみる。
最後の一音で、不協和音。

きれいな音って何だろう。