3.11

ハンドソープは泡を期待されてプッシュされ。

閉まり始めたドアを平気で通り抜け。

忘れたと気づいているはずのポケットに手を突っ込んでスマホを探す。

目に見えないストレスの形が、自分の内に、はっきり見える。


いつから、そうなった。
でも、いつからか、ってのはどうでもいい。
そうなったのも当然なんだ。

“いつからか、そうなった”

だけど、“いつかまでは、そうじゃなかった”ってことなんだ。

理屈っぽいけど、いつもいつもそんなこと考えてられないけど、それは無かったことにも、今と切り離すことも、できないからさ。


青に色んな意味を感じる。

落ちると原形をとどめられないような高い所にのぼって景色を楽しむ。

嫌いになるのは難しく。

地震と聞いて、人の顔が浮かぶよう。


私は後ろ向きなので、生きられるのは過去から今の間なわけで。
今だけ見てると生きられない。
少し先を照らすのにも振り返る。
こわいんだ。

嫌いなのは自分にとっての過去の栄光。
逆光だからやめてくれ。

引きずるタイヤに、乾いた音する重しをつけて、回転のわりに進まない足と、太ももから体の端々に広がる停止の命令。

私が生きたの確かめるのは、背面からの光じゃなくて、足を引っ張るタイヤだから。

今日もまた、タイヤに1つ、重しを大事にくくりつけ。
目を閉じて、奥までいく前、そっと息を止め、頬がふくれるくらい一気にはき出した。

くまのっ プー

後ろを見たら、蛇行しながら進んだ跡と砂埃。
ひとたび曲げれば、力を吸い取る膝小僧。

後ろ向きが前を向く。後ろ向きの力で力強く。

ハンドソープ、くまのっ プー。



(タイヤをひこずった(方言です)ことのない人には意味の分からない文章かもしれません。そうじゃなくても分からない文章かもしれません。どうでしょう。)