溜息と逃走中

「はあ」って、口を衝(つ)いて出た私の溜息が、離れたところにも、聞こえたらいい。

はあ。

笑顔よりも溜息を選んでいる。
自分の性格を物語っている。
(村上春樹を読んでみたくなった文章を思い出す)

溜息を吐(つ)くと幸せが逃げるって言われるけど、溜息は気持ちいい。

声と息が混じりながら体から抜け落ちる。

吸って吐くのが深呼吸でしょ。
違う気持ち良さだよね。
(『似て非なるもの』を思い出す)

「幸せが逃げるよ」と言われると、「逃してあげよう」と思う。

世間から見た幸せよりも、勝手な幸せに浸っている方がいくらか快適だ。

溜息をつかないことを大切にしている人もいて、それはいいことだと思うし、私はそういう人と一緒にいるのがいいのかもしれない。
できないけれど。

一緒に溜息ついていられる関係もいいと思わない?
溜息ふたつ。
無言の中から見つかる言葉は、どれも無責任な励ましで、結局、かける言葉は見つからない。

そんな二人は、外から見たら不幸だろう。
溜息以外、何も見つからない時間。
“それでも、そばにいてくれる幸せ”を、不幸と呼ぶのかな。

私は、どうも一緒に溜息をつけそうな人を、noteでフォローしているようだ。

どうしようもない無言の後は、訳もなく一緒に笑ってようよ。不幸だねって。

溜息をつくと幸せが逃げるよ。