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色よく

嫌なことがあって家に帰って(まあ嫌なことというより自分が悪かったことなんだけど…)、ああ、そういえば今日だねって、自分以外のことで気を紛らわせるのは、人を利用しているといえば、そうなんだけど、心を軽くしてくれる気がして、勝手にありがとうって思いながら、色んな楽しみ引っ張り出して、膨らませて、膨らんだところの隅に残った今日の嫌なことを、やっとぐるりと見回せて、大丈夫と無責任にも思えるから、もう少し、毎日、ちょっと生きてみようかと思えるのだとしたら、それ以上望まないとまで思うのは、大袈裟でしょうか。気の迷いでしょうか。

気が迷ってるのだとして、迷子のお知らせを致しますって放送されても、迷子をやめる気にはなれないし、本当にばかだよなあと思いながら、これでいいって本気で思っているあたり、自分は迷子じゃなくて、敢えてはみ出してるんだ、みたいな自意識。

迷子を救ってくれるどこかに取り込まれて、来るかも分からない人を待つより、どこに行きたいか分からなくなるより、スキップしながら迷子でいようか。

石けんみたいに、柔らかくて、つかめそうで、つかめない、あれって思わせる香りが、嫌になる程、鮮明で。

今日あった嫌なことも、石けんを泡立てて洗い流して香りでいっぱいにしようと思う。

自分でも何言ってんだか。

自分でない誰かを頭に浮かべて、迷子を探している人を、私が迷子ですと呼び止めるのは気がひける。

黙って視線を落としてすれ違う。
さよならした人の背中を探しても、報われないのは知っている。

なのに、振り返ってしまうのが迷子の茶番。
すれ違った人は、振り返りはしません。
それは鉄則。

いつかの約束。
しばしの沈黙。
見つけた空白。
しばらく密着
君と僕。

白い白い息を吐く。
ため息と安心と後悔と執着。

今頃、えがく 桜 咲く。

桜 咲く頃、思い描く。

四苦八苦。
迷う僕。

君はゆく。