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"若さ"を溢しているのか、"老い"が湧いているのか

9月に入り、がくっと気温が下がりました。

寝る時に夏の間はバスケのシャツとハーフパンツを着用していたため、この寒暖差に対応しきれずお腹を下す毎日が続いています。

みなさんはいかがお過ごしでしょうか。

このタイミングで大学の成績が発表され単位を落としているか否かが判り、嘆く者も安堵する者もおりました。

ところで単位のfallと秋のfallが掛かっているんですね。(は?)

秋がそもそもなぜfallなんだろうか、と思い立ち調べてみたところ葉が落ちる「fall of leaf」が語源となっているようで、別に堕落しきった大学生のことを指している訳ではないようでした。

覚えて帰ってください。

さて、大学生になりおおよそ半年が経ちました。

正直コロナ禍である以上は行動が制限されてしまい、入学前に「大学生」という語から夢想していたようなフレッシュなキャンパスライフなんてものは送れていない。

だがそれでも、だからこそひしひしと感じてしまうことはある。

空腹の筈なのに前よりも少ない量しか食べられないことであったり、寝ても前日の疲労が取れなかったり、頑張る活力が湧かなかったり。

そういった日々の色落ちに対して人々は「若さを失った」であったり、「老いてしまった」と感じるだろう。

だが、"若さを失うこと"と"老いること"が果たして同一の事象であるのかということに関しては一考の余地があると思う。ほんまに〜〜〜〜?(IKKO)

まず前者について。"若さ"という語から想起されるのはフレッシュな感覚であったり、がむしゃらさであったりある程度の無茶ならしてしまおうと立ち向かえる勇猛さであったり。そういった生きる「姿勢」のようなものを指して使っている人が多いように感じられる。

そして後者について。"老い"は抜け毛が増えたことだったり、甘いものを一度に大量に食べられなくなったり寿司で光物を好むようになったり。そういう「機能」の劣化に関して言われることが多いように感じる。

そのため、私が思うに「若さを損ねること」と「老いること」は別の事柄である。

確かに、老いることに完全に逆らうことは出来ず身体はどう足掻いても経年劣化していく。

20歳付近に分布している大学生達はもう今が盛りと言っても過言ではなく、あとは基本的に衰えるだけだ。

それは仕方のないことだし我慢するとかそういうことではなく、もうそういうものだと思うしかないのだ。

だが若さに関しては感覚的なものであり、若々しく在ることは年齢に関わらず可能である。

食べたことのないものを少しでもいいから食べたいという欲求であったり、行ったことのない場所、知らない事柄を少しずつ埋めていく悦びに「若さ」を見出していきたい。

若さは、取り戻せる。行動が制限されている現状において仮に今年や来年もこのままであったとしても、今後年老いたとしても。

やはり若さと老いの瓶は別々に、それぞれのラベルを貼っておきたいなとひしひしと感じる。

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