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あの日から変わったこと

普通にのんびり仕事してたら一日が終わっちゃいました。

今日はとても晴れた朝でした。
ああ、あの日も綺麗に晴れた青空の朝だったな、と。
13年前のあの日、まだ何も知らなかった朝。

あの震災を経験して、変わったことがたくさんありますね。

まず一日一日をしっかり生きようと思うようになりました。
何不自由ない、平穏平和な日々は、決して当たり前にやって来るものではないのだと。

たった三日間ほどですけどね、大きな揺れで家の中はぐちゃぐちゃ。
あの日に大事なものも随分割れて壊れて喪ってしまいました。
水も電気もない。食事もちゃんとできない。
「生き続けられないかもしれない」と思うには充分な状況でした。

「当たり前のように平和平穏な明日が来るわけではない」と、あれ以降思うようになりました。
それからですね、悔いのない生き方をしよう、後回しにしないようにしよう、と思うようになったのは。

感謝する事も随分増えたと思います。
視野や価値観を、広く持とうと思えるようにもなったかな。

私は今の自分の在り方が好きです。それなりに。ほどほどに。

けれどどうしても考えてしまう。
あの震災がない世界線がもしあったら、私はどう生きていたのだろうか、と。
歴史は変わらないし変えられない。
けれどもし「変えられるならどうする?」と問われたら、私はきっと迷う。
だってあんな出来事はない方が良かった。
これはずっと思い続けて来たこと。
起きなければ良かったと13年間ずっと思っている。
この先もずっと、私の人生が終わるまで思い続けることでしょう。

私の今の自分が好きです。自分大好きなんで。
色々あったけど、どうにかもがいてそれなりに幸せに真っ当にやっていると思う。
でも。どうしても拭いきれない“でも”がある。
取っても取っても絡みついてくる刺草のよう。

それでも過去は変わらないから。変えられないから。
変えられるのは自分と未来だけ。

そういう時にね、羽生さんの言葉を聞くと、今前に続いている道を、前を向いて歩いて行こう、と思えるんですよ。

五輪金メダリストだからじゃない。グランドスラム達成スケーターだからじゃない。何度も世界記録を更新した強いアスリートだからじゃない。

「羽生結弦」という、ひとりの人間の、ありのままの、弱くて強い、真っ直ぐで素直で純粋な、自分の心を自身の言葉で伝えようとするその姿に、いつだって救われているんです。

10年前。2014年のソチ五輪の時。
金メダルを取っても直接復興に貢献できるわけではない、無力だなと思う、と。
そう少し俯いて弱々しく語っていたあの日の19歳の羽生結弦さん。
けれど今は、堂々と胸を張って「希望の光が届くように」と強い瞳で話している。
こんな言い方をするのはおこがましいかもしれませんが「この10年間、よくがんばった」と言いたい。
いやほんとにおそれおおい。ごめんなさい。だってあの時のインタビュー見るとなんかか細くて儚くて弱々しくて心配になっちゃうんだもん!なっちゃっていたんだもん!

私も少しは強くなれた気がしますよ。
ていうか羽生結弦という人を10年も追いかけていたら自然と強くなっちまうわ!必死こかないとあの人のオタクやってられんわ!でもやめない。好きだから。

いつもありがとう。羽生結弦さん。大好き。

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