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水源の調査

湧水が飲用できない。
山の上の小屋もなにもない湧水で、そんなことあるのか、と疑問に思って、調べに行きました。

使った、使わなかった、ではなく、たったこれだけのものがあるだけで、断念せずに前進することができます。

いままで培ってきた技術が、他者のために役立てられることは、すごく嬉しい。

仕事でもなく、娯楽でもなく、生活を支える一端に役立つ日が来るとは思っていませんでした。

「傾斜を利用して水を引いています」

という担当者の話を聞いただけですが、ここまで水を引いてきた先人の気持ちの想像を頼りに道を探します。

管理する必要もあるので薄い踏みあとをたどると、土の途切れたところから水道管が現れました。

水圧が高くなることも考えて、なるべく緩やかに引っ張って来るはずです。
その理想の位置に踏みあとがあります。
人間の考えることに、そんなに違いはありません。

途中の接続点にはバルブがあります。
ここでチェックできるわけですね。
さすが。

倒木をうまく避けています。
水源までは30分ほどの道のりです。
かなりザレていて歩きにくいところが多いです。

見えて来ました。
野性動物が入ったりしないように、しっかり管理されています。
多すぎない部材で的確な措置だと思います。

考えてその場に合うもので、長く機能させるいい仕事なので、本当にリスペクトします。

大きな桧の足元の岩から水が湧いています。
美しい湧水の出どころを見ると、やはり「この水が飲めない」ということに違和感を持ちます。

ここが湧水の水槽。
この水が飲めないということに、やっぱり納得がいかない。

ということで、ひどいザレの水源の上に行ってみることにしました。

最初に紹介した、ロープなどがあれば、帰ることを心配せずに、ここから先に行けます。

この上は人は歩いていないようです。
というかひどくザレていて、登るどころか歩けません。

車の中にアイスバイルがあったので、「持って来れば良かった」と後悔しました。

そこで現地調達。

途中でトラバース道と合流。
恐らく林業のためでなく、罠のための目印。

いわゆる、沢のツメだけれど、崩れやすくて進めない。
限界を感じて常套手段、尾根に逃げ込みます。

尾根を登りながら水源のある斜面を見ると、意外とゴールが近くてびっくり。

ここが分水嶺、岩盤などの多少の例外はあっても、まずここより上の雨は、水源には流れません。

分水の尾根。
右側水源へ。
左は別の流れとして、一部は地域の生活を支える湧水、ほとんどが川へ。

分水嶺の反対側の斜面。

対して水源がある方の斜面。
木が少ないのが気になります。

植生は豊かです。

でも水源の斜面だけ、歩けないほどザレていて、下木が少ないです。

ガラスビンの欠片がありました。
汚れや鋭利さを見ると、それほど古くはありません。
トラバース道上てすが、人が入ることもあるようです。

これは帰るときのための目印。
「あの木の形を覚えておこう!」はまず無理です。

これも目印。
自然の中で目立たせるためには人為的であること。
だからこそ美意識大事。

ザレて歩けない場所を避けて、分水嶺の先の関係のない場所も歩いて先を確かめる作業が大事、なんて思っていたら、歩きにくい場所は分水嶺の上だけ、という発見!

麓まで続く大きな尾根に合流。
ここは終着点。
岩盤だろうと染みた水だろうと、この尾根の反対側と水源とは、まったく関係ない、と断言できる場所です。

それでも、この尾根の出どころを確認するためにボコンに向かいます。
(ボコンの説明は別の機会に)

ここが到達点のボコン。
リボンは恐らく罠の確認のために、山道を歩くときの目安。
苦労して到達点した場所が人為の悲しさ(笑)
でも、そんなものです。

引き継がれた文化の勝利(笑) これをきっと叡知と言います。

帰りは、なるべく水源の源を見ながらも、尾根道を辿りました。
(未知の尾根を下るのは危険です、ロープ技術に習熟していなければ、やってはいけません)

私なりの結論です。

昭和の頃は150人養えた水が、チョロチョロとしかでないことには理由があります。

1 水源の沢の給水面が思うよりずっと小さいこと。
2 ザレがひどく、倒木も多く、木が少ないこと。
3 大木は空を多いほかの場所と遜色ないのに、下草が少ないこと。
4 水源の上には問題がなく、この湧水自体は健全で奇跡的な水場であること。

それを考えると必要な措置は植林です。
水源を守るための保護はよく聞きますが、水源を維持していくための植林はあまり聞きません。

現地にはヤマツヅシの群落が多々ありました。
シダはパイオニアプランツで日陰でも強く育ちます。

水源の斜面は小さくて、崩れて、本来のポテンシャルを発揮できてきません。

この町の歴史を調べると、急峻で針葉樹の建築資材の大儲けを見込めず、広葉樹を放置せざるを得なかった経緯があります。

多くの課題もあります。
だけどこの場所には多くの希望があります。

森のようちえんは子どもたちに、自分の飲水はどこから来るのか、と伝えたいですが、水源までも行けないでしょう。

それでも生かされている状態、感謝の気持ち、協力、肌にしみて体感することはできるはずです。

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