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氷結のシオン(第2話)
午後六時 食堂
「お疲れ!」
モクレンは昼食時と同じラウンドテーブルを囲んでいた。机には湯気の立つ食事が並べられている。モクレンの他に、ヤナギとカリンも机を囲んで待っていた。シオンは残っている空席に腰を下ろす。
「今日は人が多いんだね。」
「まあな。せっかくの晩餐だからな。」
モクレンはいつもよりも機嫌が良さそうに返答した。
「夕飯は僕がおごるって言ったのに、また用意してもらって……」
「気にするなよ。お前のおかげで今回も凌げたんだからさ。」
モクレンの言葉にカリンも大きく頷いてみせた。シオンはあまり納得していないような表情をしながらも、皆と一緒に食事を始めた。
「そういえば、ヤナギさんとモクレンは仲がいいんですね。」
シオンが綺麗に焼き魚の骨を取りながら話をふった。モクレンはシオンから話を切り出した事に少し驚きながら、ヤナギを紹介する。幹部連中の中でも話やすく、一般パイロットに対しても理解がある人物だと説明した。シオンは、噂は知っていると言って、決まり事のように挨拶をした。そういう人物だと事前にモクレンから聞いていたヤナギは、不快に思うこともなく受け入れる。
「シオンも困ったら、相談ぐらいは乗るから言えよ。」
ヤナギの言葉に、彼は慣れない様子でお礼を返した。
「確か、シオンは清水の出身なんだよね。」
カリンが別の話題をふる。
「うん。でも五年前の記憶はないから、あまり感傷には浸ってないかな。」
彼は顔色一つ変えず、ガラス越しに見えるかつての街を眺めた。以前商業施設だった場所はブラックボックスの研究施設となり替わり、工場は有人機製造ラインになっている。
「記憶がないって?」
シオンは、気が付いたら既に試験用パイロットとしてホワイトシップに乗っていたという話をヤナギにした。
「記憶喪失ってことか?」
「ええ、初期機体の試験時に事故があって、そこで全ての記憶を失ってしまったみたいです。」
「みたいですって…そんな他人事みたいに言うなよ。」
ヤナギの当然の反応にモクレンたちも頷く。シオンだけが、事の重大さを認識していないようだった。
「でも第一次開扉で何もかも失ったから試験パイロットを引き受けたわけですし、ロクな記憶じゃなかったなら、それと引き換えにガンマ開発に貢献できて安上がりではないですか?」
呆れた様子でヤナギは他の二人を見た。彼の持論については、二人も納得していない様子だったが、どうやら以前からそういう考えの持ち主だったらしい。三人が苦い表情をしているのを見て、シオンは言いよどみながらも続けた。
「……でも、記憶が戻ったらいいなとは、思っています。ロクな記憶じゃなくても、自分の経験や思い出だったわけですし。」
総帥は願望的な会話が嫌いだから内緒ですが、と付け足した。ヤナギには、それがシオンの本心なのか、それとも彼なりに気を遣って言ったのか判別できなかった。しかし、モクレンはそこには触れずに、いつもの明るい笑顔で思い出せるさ、と励ました。全く異なる性格の二人が友人である理由が、ほんの少しだけ垣間見えた気がして、ヤナギも本心であると解釈することにした。
午後九時 格納庫
格納庫にズラリと並べられたガンマの機体数は、昼に比べて減っていた。日中に起きた戦闘で、何機か海に落ちたらしい。シオンは冷たい色に照らされた格納庫内を奥へと進んだ。一番奥に仕舞われたベータ機を見上げる。
『お疲れ様。』
シオンがベータに乗り込むと少女の音声が流れた。彼はコックピットの照明をつけ、深く椅子にもたれた。一つ息を吐いてみる。
「ベータもありがとう。損傷はない?」
『うん、大丈夫。』
モニターを見ると、時計は午後九時を回ろうとしていた。
『シオンは船を降りないの?せっかく寄港したのに。』
ホワイトシップは清水港を拠点港としてはいるが、毎日寄港するわけではなく、基本的には沖に停泊して仕事をしている。ガンマ機の搬入や食料の確保のため、ブラックボックスの異変が少ない夜間に時々寄港するのである。乗組員の多くはこのタイミングで陸地に降りて、私物の調達や家族との連絡を行うことが多かった。
ベータの純粋な質問に、シオンは少しだけ遠くを見るようにした。
「覚えていないから、降りても……」
『……そっか。まあ最近忙しそうだったし、今日はゆっくりするといいんじゃない?ここで少し眠っていく?』
ベータの提案にシオンはうなずいた。
「うん。おやすみ。」
『おやすみ。』
瞼を閉じた彼を確認して、ベータは照明をゆっくりと消した。
午前六時 バルコニー
薄っすらと白みがかった青空に、カモメが数匹飛んでいる。早い時間のためか、日中より静かに感じる。モクレンは欠伸と伸びをして景色を眺めた。普段は周囲を海で囲まれているが、今日は目の前に舗装された港があり、建物もすぐ目の前に建っている。下を覗くと、荷物を運ぶ作業車やコンテナが点在していた。
「落ちてしまうよ。」
突然声をかけられて、身を乗り出していたモクレンは慌てて振り返った。立っていたのはシオンである。彼はモクレンの隣に来ると同じように景色を眺めた。
モクレンには、港に寄港した朝は今日のように朝早くに起きて景色を眺める趣味があった。これまで他のパイロットに鉢合わせる事はほとんどなかったため、同じように早朝に訪れたシオンが珍しかった。
普段から朝早くに起きるのかとモクレンが問うと、シオンは少し穏やかな表情になって首を横に振った。
「いや、仮眠のつもりがぐっすり寝てしまって……ベータが勝手に照明を消してしまったから……」
「え、コックピットで寝落ちしたの?」
シオンは軽く頷いた。多忙なシオンが暇さえあればベータのもとに向かっている事は周囲の人間なら理解していた。それは情報収集と学習のためにベータとの会話が必要であり、その役目がシオンにしか務まらないからであった。表面上はそのような理由であったが、シオンはベータを一人の個人として扱っている部分があり、モクレンはシオンとベータの関係性を親友や兄弟のようなものだと認識していた。そう認識した方が、シオンとの会話の辻褄もあった。
「昨日の戦闘、連絡してきただろ?あれって、ベータがやったの?」
モクレンは昨日の事を思い出し尋ねる。シオンは頷くと、あれも勝手にベータがやったのだと説明した。しかし、その言い訳も迷惑しているというニュアンスは含まれておらず、むしろ少し嬉しそうに聞こえた。
「でもさ、嬉しかったぜ。普段シオンは頼ってこないから。これからも困ったら言ってくれよ!」
「うん。」
「……今、笑った?」
驚きながら、モクレンは友人の顔を覗き込んだ。無表情のまま、シオンは笑ってないよと返して、食堂の方に軽やかな足取りで向かって行った。
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