父と子。──『鎌倉殿』34回。

『鎌倉殿』はキャスティングがとにかくハマりすぎて、役者さん同士の共鳴というか、高めあいがすごいなと思う。脚本・演出ふくめ何かがはまるとこういう映像が生まれるのだけど、『鎌倉殿』はその感じがビシビシと心地よい。

泰時を演じる坂口健太郎さんは、実際には31歳。泰時より1歳年上の頼家を演じた金子大地さんは25歳の年下で、8歳違いの叔父・時房役の瀬戸康史さんは歳上ながら3つしか違わず、父親役の小栗旬さんとも8つしか違わない。役の上では16歳の北条政範(実際も16歳の中川翼さん)が親類縁者では一番歳が近いという役どころ。そういった周囲とのバランスをよく見て役作りをされているなあと、あとになってから感じることが多い。
ちなみに泰時が尊敬する畠山重忠。演ずる中川大志さんは24歳だけれど、34話では重忠は40歳くらいになっている。落ち着き払っている重忠と、ちょいちょい青臭さがでる泰時。ちゃんと年齢が逆転して見えるのが、役者さんの凄さ。実年齢が8つしか違わない小栗旬さんと坂口さんの言い争いが父子の喧嘩に見えるのも、坂口さんが20歳くらいの泰時の「青さ」を捉えているからなのだろう(義時は今、小栗さんの実年齢とさほど変わらない)。
中盤からの途中参加にも関わらず、それまでのレギュラー陣のなかにおいてもきちっと年代を捉えたポジションに収まっているのも凄いなあと感じる。

ちなみに先日、鎌倉のドラマ館を見てきたのだけど、物語当初の映像が流れていて、特に中川大志さん演ずる畠山重忠には「若っ!」と思ってしまった。逆に今、40歳という武将としても脂の乗り切った貫禄を体現している24歳に驚く。


さて、「結婚」がテーマの回でしたが、あえて父と子について。
まず、義時と泰時の親子。
私はこの親子には、圧倒的に「対話」が足りない!と思う。特にこの数回、泰時は父・義時に向かって何度も「おかしい」「本当にやるのか」と問いかけ続けてきた。しかしそのつど義時は、「これで良かった」「こうするしかなかった」しか言わず、ときには「何を怒っている」とはぐらかし、泰時が踏み込もうとすれば拳で黙らせてしまう。
そら、息子もキレるよ……と私なんかは思う。義時、本音で息子にぶつかってないんだもの。子も若さゆえの青さがあるなら、義時もまだまだ、父として未熟、ということなんだろう(そりゃ、40歳そこそこで完璧な親なんていない)。
『鎌倉殿』の泰時は母の八重さんから、優しい心と同時に芯の強い頑固さも受け継いでいる。自分が納得できないことは、相手が主君の頼家だろうと父だろうとはっきり口にする。それはつまり、いつも本音で相手にぶつかっている、ということ。泰時は義時にも、本気でぶつかり続けてきた。
でも義時は、そんな息子をいつも受け流してしまう。義時をまだまだ子どもだと思っているのか、それこそ義時の父としての未熟さなのか、はたまた、これまで自分がしてきた選択への後ろめたさなのか、私にはわからない。でも、20歳そこそこの泰時に父のこれまでの苦悩を察しろというのはやっぱり無理がある。

比企能員を奸計に誘いこみ、「これで比企を討つ口実ができた」と言わんばかりの父に呆然としていた泰時。多分、父がそんな政のやり方をしてきたとは露ほども思っていなかったのではないか。
一度、疑義を抱けば、もう以前のようには戻れない。だから、「おかしくないか」「本当に良いのか」泰時は何度も投げかけた。でも父は正面から答えてはくれない。尊敬してきた父だけに、応えてもらえないもどかしさが余計に募る。
それでも、実朝に気になることがあればわざわざ父に報告にいく泰時は良い子に育ったと思う。その息子に向かって、頼家と実朝を比較するようなことを平気で言う義時がちょっと怖い。頼家は息子が心底助けたいと願った主君で、その頼家を殺したのはほかならぬ義時。「人の心がないのか」というか、人の心がどこかいっちゃった空虚さが義時にはある。特に、泰時に対して。
義時、息子との向きあい方がわからなくなってるんだろうな、とも思う。義時がとっくに蓋をしてしまったものを泰時は無垢な心で暴きにかかるから、真正面から向き合うのが怖いのかもしれない。でも、泰時には当然そんなことはわからない。だから、「自分に応えてくれない父」への心の距離ばかりがあいていく。
実際の父親と息子も、こんなところがあるんじゃないかなと思ったりする。一番近しい男同士だから、ぶつかり合いを始めてしまうとよけいに素直になれず、一線を超えてしまうといよいよ戻れなくなる。そこをとっさの機転でおさめたはつちゃん、できた嫁。
というか義時、腹のうちを全部、泰時に話したらいいと思う。怖いかもしれないけど。私も、泰時がどう受け止めるかはわからない。でも、話してみたらいいと思う。ひとり酒をしつつ「太郎」と呼び止めたの、御礼を言うとかじゃなくて、酒を酌み交わしたかったんじゃないのかなあ、義時。泰時、得意の観察眼を発揮して。


時政と義時の父子はどうかというと、時政は父親としてはとっても鷹揚。子どもたちのやることを否定しない。息子が人を斬れずおろおろしていても、それを怒鳴りつけたりはしない。怒るとすれば自分の家族が傷つけられたときくらいで、身内に怒ったり頭ごなしに怒鳴ったり、ましてや拳骨で黙らせるってこともしない。人としてとってもおおらか。言い換えればちょっと適当。
義経に見せた温情もとても良かったし、武士としての胆力も、人としての愛嬌も、上皇と渡り合える駆け引きの強かさもあった。そういう意味で、頼朝が生きていたころの時政は北条の家族にとっても頼朝の家臣としても、重しとして機能していた(頼朝も時政の使い方が上手かった。てっぺんに立つものの嗅覚が、頼朝にはあったのだろうと思う)。
その時政、政(まつりごと)をするにあたっては、その人の良さやおおらかさが逆に仇となってしまう。義時は政の嗅覚を頼朝に鍛えられているので、父のやっていることがとても危ういことだとすぐにわかる。
ドラマ館でみた映像で、時政役の彌十郎さんが「時政は家族と何か言い争っても、身内の喧嘩ぐらいにしか思ってない」みたいなことを仰ってたのだけど、なるほどなあと。時政は義時が指摘したように「軽い」、それはつまり彼の視野が「身近な家族」に留まっていて、物事を深く、広くは考えてない。鎌倉幕府全体を見ている義時とは、見ているものが全然違う。だから話は噛み合わない。
とは言え、図星を突かれたとたん、息子の言葉を真正面から理解することから逃げてしまう、という意味では、時政と義時は親子だったんやな、と思う。
でも、そこは似なくていいんやで……。
いや、父と子の距離感では、こうなってしまうのだろうか。

私は瀬戸康史さん演ずる時房が、この時政のおおらかで「軽い」性質を受け継いでいるんじゃないかなあと思うのだけど、彼がこれから義時ばりの「政の嗅覚」を身につけていくのだとすれば、もしかしたら彼こそが、北条最強のハイブリッド政治家になるなんじゃなかろうかと思ったりしている。

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