義時の思う「鎌倉」とは。──第32回

善児というキャラクターが面白い。
彼はこれまで伊東祐親(八重の父)、そのあとは梶原景時の武器となって、命じられるままに暗殺を繰り返してきた。梶原景時が鎌倉を追われたあとは義時に譲られたかたちになり、比企一族の殲滅の際には泰時につく。
これまで祐親も景時も、そして義時も、善児を「人を殺す道具」としてしか扱わなかった(当初の主人である祐親には、情はいくらかあったかもしれない)。しかし泰時は違った。幼い命を守るためにその力を使えと──もしかしたら善児には、そんな命令は初めてだったのではないだろうか。
泰時が一幡を善児とトウ(善児の弟子)に預けたのも、泰時が彼を暗殺者ではなく「人」として見ていたからだと想像がつく。実際に一幡に慕われるほど親しく面倒をみているから、泰時はただしく善児の本質を見抜いていたと言える(そのかわり、父のことは見誤ったけれど)。
息子のこの優しくまっとうな視点を、義時はどう見ただろう。義時は善児をそういうふうに見たことなどなかったし、そういうふうに善児を扱おうとも思ったことがなかったはずだ。
善児は泰時の異父兄を殺し、義時の実兄を殺した張本人。しかしこれまでの彼は単なる武器に過ぎず、千鶴丸のことも宗時のことも、江間次郎や上総介、範頼のことだとて、彼が彼の意思で決めたわけではない。義時もそれを承知で、彼を「武器」としてそばに置いてきたはずなのだ。
その「武器」が、泰時という持ち手に渡ったとたん、がらりと様相を変える。
どんな武器も、持ち手のありよう次第。
人を傷つけるのも、守るのも、持ち手次第。
それが、父と子の決定的な違いに見える。
息子の言う正論はかつて自分のなかにあったもので、しかしそんな正論ではまかりとおらない世界を義時はいやと言うほど間近にしてきた。しかし今、「頼朝様のやり方は正しかった」というその言葉もだんだんと都合のいい逃げ口上となりつつある。息子に詰め寄られれば、義時は拳を振りあげる=力でねじ伏せるしかない。
善児は、その「力でねじ伏せる」無法時代の価値観の象徴だった。しかし息子・泰時は、そんな善児に新たな役割を与え、父親たちが当たり前としてきた価値観から脱しようとしている。若さゆえにそれを端的な言葉にすることも、行動に移すこともできないけれど、父・義時もまた、息子の違和感を論理で正すことができない。
それもまた、善児というキャラクターがもたらした陰影なのだと思うと、三谷脚本に唸る。


「北条がてっぺんに立つ」という野望を語った宗時が今となっては無邪気に映るのも、時政の「やってやるよ」が軽いのも、北条の家族のことしか考えていないから。北条が一番えらくなれば家族を守れるじゃん?という程度のものである。
しかし幕府を運営するということは、社会全体のことを考えることでもある。北条の家のことだけ考えていれば良いというわけにはいかない。義時は、そのことを考えているのではないかと思う。
もちろん、義時にも忸怩たる思いはあると思う。合議制を打ち出し御家人が力を合わせて将軍を支える、そんなシステムを考え出してはみたものの、いかんせん「力でねじ伏せる」ことが当たり前の荒くれ坂東武者たちは、これまでとまったく異なるやりかたにはそうそうすぐに順応できない。
表立ってドンパチしないぶん、謀略・調略はより陰湿になって、なんなら、無理にでっかい国を作らずともそれぞれが小さい国を持ってときどき小競り合いしてたほうがまだマシだったんじゃ?みたいな雰囲気。鎌倉幕府ができてしまった以上、どうにかそれを軌道に乗せないといけないけれど、いまだ深い森のなかにあって、右か左か、どちらに向けて道を切り開くのが正しいのか、義時にさえもわからない。
そうしてもがいてもがいているものを、若さに任せて「おかしい」と糾弾されれば、拳をあげたくもなる。いや、むしろ泰時の正しさには共感しつつも、今はまだその正しさを力づくでも押し込めておかないと泰時の命が危ない、そういう覚悟だったかもしれない。
ただ、義時がその胸中を吐露できる相手が今、いるだろうか。
義時の孤独に寄り添える人が誰もいないのが、切ない。

かつて冠者殿に、「お前は信用ならない」と言われた義時は、今になっても誰もそばにはいない、孤独な存在として描かれている。義時自身が政子にでさえ平気で嘘をつくようになった今、誰を信頼するとも、誰かに信頼してほしいとも、義時はもう言うことができない。
「余計な一言が、忠実な御家人の命を奪った」と義時は頼家を咎めた。かつて義時は姉・政子にも同じことを言ったことがある。「御台所とはそういう立場、その言葉ひとつで人が死ぬ」と。では、義時はどうか。仁田が死んだのは北条家が打った悪手の結果であって、それを頼家のせいにするには無理がある。仁田のことを後回しにしたのも義時だ。しかし義時は論点をすり替えて頼家に責任転嫁する。そこに頼家は、北条家の野心を見抜く。
頼家の父・頼朝にとって義時は、ただ純粋に自分の力になってくれる無私の家臣だった。でも頼家には違う。源氏の嫡流を手にかけておきながら悪びれる素振りすらなくのうのうと大きな顔で自分に講釈をたれ、頼朝の血筋を押しのけ幕府を牛耳ろうとしている野心家の男である。源氏嫡流でさえも場合によっては粛清する、北条にはそれだけの力があるのだと堂々と恫喝してくる存在になった。頼家の義時を見る眼差しは胡乱げで、いくら義時がまっとうなことを言ったところで(中身が伴ってない以上)時は既に遅く、もう頼家に響くはずがない。


あの頼朝のそばにさえ、安達盛長が最後まで付き添った。かえりみて義時の孤独が寂しい。それはたぶん、義時のみている「理想の鎌倉」を、誰も共有できていないからではないかと思う。
ふと、もし義時が善児を「人」として見ることができていたら、案外、良い話し相手になっていた気がする。でも、千鶴や宗時のことがある以上、義時は泰時のようにはなれないのだろう。
義時自身がいつの間にか、誰にも心を開けなくなっている。頼朝に食らいつくのに必死だった過酷な青年期の反動なのだろうか。
それもまた、切なく映る。
義時の思い描く理想の鎌倉とは、なんだろう。彼は生きているあいだに、その世界を見ることはできるんだろうか。

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