「最愛」の意味──『鎌倉殿』37話

義時はどちらかというと、他者に対しては淡白なところがある。面倒臭いことには立ち入りたくない、という性分ともいえるだろうか。時政への「気のいい父ではあるが政の才はない」ところとか、継母りくの野心むき出しのところとか、ちょっと釘は刺してみるもののそこでやめて、あとは対処療法に徹する。
基本的に、「そこに何か問題があっても表面上はみんな上手くやっていければいいなあ」という、揉め事は苦手な、のんびりした気質の人なのだと思う。だから、人間関係が表面上、上手くいっていれば、そこに底流する物事の根本をあえてほじくりかえそうという気持ちにはならない。
たぶん義時自身はちょっと人見知りで、あんまりコミュニケーションが得意ではないのだと思う。だから、俯瞰的立場でいることが一番、精神的に落ち着く。逆に、他者のふところにストレスなくすっと入り込める才能があるのは、兄の宗時のほう(あと時房も)。しかしその宗時はもういない。義時はずっと、自分の気質に無理をして、心に蓋をして、鎌倉をどうにかしようと頑張ってきた。

その義時が自発的に他者の懐に飛び込もうとしたのが、八重だろうと思う。2番目の妻の比奈はめおとの愛情というよりも同志の情愛という感覚に近く、義時のやることに比奈が目線を合わせてくれているという関係だから、「比奈さんが可哀相だ」と訴える泰時の言葉も、いまいち理解できない。
義時は、八重の人生にだけは積極的に介入しようとする。元来のコミュニケーションの下手や経験不足があいまって「ほどほどに」の力加減ができないから、八重や周囲からは異様な行動に映ったりもする(史実では姫の前(『鎌倉殿』の比奈)に1年以上猛アタックし続けたそうなので、実際の義時さんもいったんスイッチが入るとそういう執着を発揮する方だったのかもしれない)。
そういった「理屈ぬきの衝動」は、八重を失ったあとの義時からはすっかり影を潜めていた。のえが「きのこが好き(嘘)」なところは素直にときめいたし、大きな要因ではあったかもしれないけれども、御所内のパワーバランスや比奈の残した子どもたちのことなど俯瞰的な思考も込みでの再婚であることは、子づくりに消極的なところにあらわれている。

そんな義時がふたたび衝動的な感情を露わにするようになるのは、息子の泰時に対してである。
「おかしい」と詰め寄る相手に対して、咄嗟、拳で黙らせることなど義時はしたことがなかった。頼家のことがあってからは息子との距離感もわからなくなる。そもそもがコミュニケーション下手だから、息子と真正面から向き合うことになかなか踏み出せず、ちびちびとひとり酒を煽るしかない。
幼子に「こうしなさい」と言い聞かせていればよかった時期は終わり、いつの間にか息子は精神的自立の段階に入った。そんな息子の成長についていけない不器用な父と、父を支えたいのだけれど未熟がゆえにどうしたらいいかわからない息子の間には、父ひとり・子ひとりのシングルファーザー家庭のような雰囲気と、たがいをわかり、気遣うゆえに深く踏み込めないもどかしさがある。
しかし義時は、義時なりに父親として息子を愛してきたのだなあと思う。
畠山重忠が義時をおびきだそうと泰時に狙いを定めたとき、「まずい!」と駆け出す義時の、「父親」としての生々しい姿にそれがある。「頼朝さまのやり方は正しい」「これしかないんだ」といろんなことを飲み込み、俯瞰的に、大局的に判断してきた義時が、戦さ場で総大将の身にありながら、息子ひとりの危機に感情を煽られ、単騎で駆け出してしまう。
重忠にしろ、ほかの坂東武者にしろ、戦さ場にいったん出た以上は息子だろうとひとりの武士としてしか見ない気がする。戦さ場に赴く覚悟とは、そういうものだからこそ手強い。
しかし義時は、父子の情愛を切ることができない。それは、時政にも向いている。義時が父・時政に対して深くは踏み込んでこなかったのは、「深く踏み込めば家族の関係が破綻する」ことを恐れるがゆえの葛藤。そうして手をこまぬき続けた結果、いざ手を講じようとしたときには時すでに遅し、という事態を招いてしまう。重忠は、その象徴だった。
(できるなら、重忠を討たなければならないことに泰時はもう少し葛藤があって良かったし、そういう息子の姿を義時が目にする描写があって良かった、と思う。そうすれば、義時が泰時をそばに置くという決断は、また深みを持ったのではなかったか。泰時が思い悩むようなショットは事前に公開されているので、尺の都合でカットされたのかもしれないけれど。)

泰時をそばに置くことは、ある意味、父と子の情を断ち切ることを意味してもいる。義時にとってこれ以上の覚悟はない。そして「次代の施政者として育てる」と腹を括ったからには、北条は身内に甘いと言われないよう厳しく接するのではないか。「ほどほどに」ができない義時が、自分にそう課してもおかしくはない。
後世、泰時は心の師となる明恵上人に対して、「思うに父は私より弟たちを愛していたんじゃないか」というようなことを話したらしいが、もし義時が、時政追放を機に「(己の失敗を繰り返させないために)泰時を厳しく育てる」ことにシフトしたのだとしたら、泰時の言葉も理解できる。
その泰時の実感を第三者的に見れば、義時はほかの子どもたちにはそこまで重いものを背負わせなかった(背負わせようと思わなかった)のではないか、という気がする。もしかしたら泰時にも背負わせたくはなかったかもしれないが、時政を追放するという不孝を犯すにいたって、自分だけが父と子というあたたかな関係を享受するわけにはいかないと思ったのかもしれない。
その代わり義時は、自分の命を泰時に預けた。「政の公平性を揺るがす危機の前には、相手が父であっても討つのだ」という苦渋の覚悟とともに。同じ子にあって、その覚悟を託されたものとそうでないものの違いは大きい。託したほうの覚悟も。



泰時のしぐさや言動には、ちょいちょい、母親の八重の影が見え隠れする(これは、坂口さんが上手いのだろうと思う)。義時はこれまでも、息子のなかに何度も、忘れられない愛妻の姿を見てきたのではないだろうか。
八重への献身的な(なんなら猟奇的一歩手前の)愛と、泰時という息子に向ける愛は、義時からすれば見返りを求めない=相手からすれば対話の余地なく重い、という点で似ている。
しかし八重と泰時では、性別も立場も決定的に違う。今後、施政の苦しみも味わってもらわねばならない泰時のことは、ただ「守る」存在として愛するわけにはいかない。
思わず単騎で駆け出してしまうほど、大事にしてきた息子。
人物紹介にある「最愛の息子」という紹介文を、私はずっと「泰時が八重の息子だからだろう」ぐらいにしか解釈していなかった。
しかしここにきて、義時が息子に向ける「最愛」は、切ないほどに重い。




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