父と子、前進す?──『鎌倉殿』42話


義時の行動原理がどこにあるのか、ずっと考えてきた。なんというか、彼の言動からはどうにも、目指す鎌倉の姿が見えない。
うーん。困った。


今回、実朝のそばにいる泰時は、義時に「どの立場でそこにいる」と問われ、「父上は義弟というだけで頼朝さまのそばにいた。私は従兄弟として実朝さまのそばにいる」と答えた。
この言葉をひっくり返せば、「自分と実朝は従兄弟という血縁関係でも近しいところにいるが、源氏と北条はあくまで主従であって、血縁関係があるからそば(=権力に近しいところ)にいられるだけなのだ」とも紐解ける。つまり父の義時が、源氏の家格には遠く及ばない北条の家のものでありながらも実朝を軽んじていることへの痛烈な皮肉とも言える。
この言葉は物語の最後、鎌倉殿の外戚から外れるかもしれない、という段になって義時がにわかに焦りを露わにするところへとつながるのだけど、「鎌倉殿は、源氏と『北条』の血を引くものでなければ」と口を滑らせたところに、義時のらしくなさがある。
「北条のために」というのは、義時の揺るぎない行動原理のひとつではあるのだろう。しかしそれは紛れもなく私欲、胸にしまっておかなければならないことでもある。それをうっかり(?)こぼしたことで主導権を政子に奪われる結果となった。
さて、義時の次の手はなんだろう。


前述の解釈とは別に、泰時の言葉にはもうひとつ違う側面もあったかもしれないとも思っている。それは、泰時は敢えて義時を挑発にかかったのでは、ということ。泰時を側近に置いたことの咎を、実朝ではなく自分に向けさせるために。それで義時の激昂が自分に向けばしめたもの。しかし義時は泰時の真意を察したか、挑発には乗らなかった。
もしあのやりとりがそういうことであれば、義時は息子がまだ若い主人に代わって泥を被る覚悟があること、今や誰も鎌倉で逆らえない父に堂々挑発をしかけ、実朝の盾になる覚悟があることを悟っただろう。言葉の上面だけを掴めば「何も知らない若造が」と激昂しても良いところを義時が黙ってひいたのは、「家格の違い」を突かれたこととは別にして、そういうことではなかったか。

だから義時は、衆目の眼前でこれも敢えて、実朝ではなく息子を叱責する。お前のために盾になる家臣がいる、その忠臣を抱える主君の器とはなんたるかを、実朝に問うために。
これは、義時なりのスパルタ教育と言えるかもしれない。実朝が長く鎌倉殿としてあるならば、義時の死後も泰時と二人三脚で鎌倉を支えていくことになる。いうなれば義時は、愛息の運命を実朝に委ねることになるのだ。だからそれを見越し、ふたりまとめて教育にかかった。とはいえあのやり方も、泰時の打たれ強さを信じているからだろう。これが朝時なら、この時点でぽっきり折れていそうである。

案の定、泰時の心は折れるどころか、夢日記にまつわる懸念を義時に伝えにくる。それは泰時もまた、朝廷との距離は慎重に見極めねばならないという意識を持っていて、それが鎌倉の利益にならなければ、ときに実朝の思いを諌める必要があると認識していることも示している。主君にただ盲目的に仕えるのではなく、全体の政治的バランスを見る目が泰時には備わっていることの証でもある。
感情に任せ「間違っている」一辺倒だった息子が、反発すらも駆け引きの材料にし、知らせるべきは知らせ、失意の実朝と御家人たちの不満を同時に丸く収めるような対案を即座に出す調整能力も発揮する。泰時が施政者としての階段をこつこつと、確実にあがっていることを義時はひしひしと感じているのではないか。
そんな回でもあった。

そろそろこのふたり、互いの思いをすり合わせてはどうだろうと思うのだけどな。義時の思う鎌倉がどういうビジョンなのかも知りたいところ。


話の最後、時政と泰時のシーンは味わい深いものがあった。
「楽しかった時代の義時が来てくれたと時政が思ってくれたら」と演じていたと、坂口健太郎さんはインタビューで話している。
そんな泰時の笑顔に「時政に戻れた」という彌十郎さん。
ふたりの穏やかな会話が心地よい。
畠山や平賀の一件を思えば、時政がのんびりとした余生を過ごし今が一番幸せというのにも複雑な思いがないわけではないけれど、田舎の良いおじちゃんが気のいい娘に面倒をみてもらいながら住み慣れた伊豆の地で人生をまっとうしたことは、しんみりと良かったとも思う。
史実の泰時は時政の供養をしなかったと伝わる。しかしそれは再興された畠山の家を慮ったからで、もしかしたら記録に残らないところでひっそりと供養をしていたのかもしれない。
あの泰時ならきっと──そんな未来までも想像させる、良シーンとなった。

それにしても、千世の「とぉんでもないっ!」のかわいいこと。


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