『光る君へ』ここまでの雑感。

すっかりご無沙汰してしまいました。
昨年の『どうする家康』は、途中何話か脱落しかけましたが、なんとか最終話まで見届けました。最後まで、「製作陣が描きたい何か」のためにだけ人物が存在したなあという感じ。面白い試みや表現は確かにあったのだけど、それらは点々と点在するだけで一本の線にはならなかった。もったいなかった。

今年の『光る君へ』は、放送が始まって4ヶ月経ちましたが、今のところ離脱する理由もなく、惰性で見ている感じです。ちょっと言い方が悪いですが(汗)
もともと私は平安時代に興味も抱いたこともなく、また知識に明るいわけでもなく、『枕草子』や『源氏物語』には学校の授業以上に触れたこともありません。ゆえに、まずは「ドラマ」として楽しんでいる感じです。
それで今のところ「惰性」になっているのは、ひとえに主人公「まひろ」の人物像と存在感の薄さだと私は思っています。もともと史実でも史料に乏しい女性ではあるので、特に前半生はほぼ創作になることはわかっていたはず。それならばもっと創作に振り切って良かったのになあと、思ったりします。

私の偏見も入っていますが、作家なりの表現者というのは同時に「観察者」でもあると思います。何かの事象を「良し悪し」とカテゴライズする思想家ではなく、「そうか、そういうことになっているのか」と観察する姿勢です。
例えばものを持つときに、指はこう曲がるのか、と思う。例えば幼子を抱く母親はそんな顔をするのか、と思う。人とはこんなときに醜い心が現れるのか、と思う。同時に、そういった他者の心のつぶさな動きが無性に愛おしくなる。
彼女にそういった性分があれば、彼女はもっと直秀のいろんなことに興味や関心が湧いていい。出自はもちろん、彼の考え方から、曲芸的な身体の使い方、日に焼けた肌の黒さ、爪に入り込んだ土。市井に生きるとはこういうことなのだと、そういう小さなディテールの積み重ねによって、彼女は自分のなかへ実感として落とし込んでゆく。
作家性分とは、そういうものなんじゃないかと思う。
道長との道ならぬ恋に、月下、涙が溢れる。ひとしずくが水面に波紋を起こす。その揺らぎにさえ、彼女は「ああ、こうして月の光は揺らぐのね」と、身の回りの事象に思いがゆく。
私は、そういう女性であっても良かったと思う。

しかし本作のまひろは、とにかくぼーっとしている。学問は好きだし、胸のうちの何かを放出したいとも思っているが、それが衝動的な行動に移ることはない。とにかく、気づけばぼーっとしている。何をして日々暮らしているのか、とんとわからない。綺麗な着物をきてなんとなく本を読み、ときどき、思い出したように畑の作物をいじる。それだけだ。
絵描きなら絵を描かずにはおれない。
作家なら、筆をとらずにはおれない。
描くべきものも、文字にすべきものもよくわからないが、何かを知りたい。人間の業を知りたい。心のうちを知りたい。そういう、自分にも説明のつかない衝動が胸の内にくすぶっているものではないだろうか。紙がなければ、そのへんの木片にさえも何かを書き留めたい。そういう、内側から溢れくるものを抑えきれない、強い衝動が、まひろにはない。
鳥のさえずりに目がゆく。雲の流れに風を思う。道長や直秀とはまったく違う視点をもって世界を見ている女性。そういう「観察者」だから、彼女はのちに千年も愛される文学を残せ得たのではないだろうか──と思えばこそ、まひろの「何もしなさ加減」は本当にもったいないと思う。観察者ではないから、政への関心も、他者への心遣いも、単なる思いつきにすぎないでいる。

まひろ、という女性を中心に据えたとき、道兼の存在も中途半端なものになった。
彼が母親を殺めたことが1話のキーになったわけだけど、ではそのあと道兼の存在がまひろに何かを強く及ぼしたかというと、たいした葛藤もなく終わった。
人を殺めてしまうほどに湧き上がる衝動とは何か。直接に会った道兼はとても穏やかそうに見えたのにどういうわけだ。穢れを背負った男が関白になるのか。もっと、もっと、どういうことなのか知りたい。まひろは道兼に葛藤があって良かったし、道兼はちやはを殺めたことにもっと葛藤があって良かった。
まひろとさして関わりのない道隆より、道兼のそういった変化と、それにつぶさに接するまひろの構図をもっと丁寧に描くべきだっただろう。流行り病に倒れた、そういえばあのとき、道兼さまも悲田院においでだった、そういう話に接しても良かった。母を衝動のままに殺めた男とは合致しない。でも、人とはそういうものかもしれない。相反するものを内包するものなのかもしれない。
回復を願う気持ち、抱えてきた呪いを消しきれない気持ち。忘れようと思った呪いが、自分のなかで小さくくすぶり続けていることに気づく。せっかく1話でああいったスタートを切ったのなら、道兼の死がまひろにとっては密かな、しかし大きなステップでなければいけなかった。

とにもかくにもまひろの人物がなかなか立たないから、常にすっきりとしない、視界が霞んだような印象を受けてしまう。今のところ、私の『光る君へ』評はそこにつきている気がします。

それとは別に、描かれている平安世界を見ると、ああ、これは武士に政の主導権を奪われても仕方ないなあと納得もします。
京都盆地の、内裏という小さな小さな世界のなかで、外の世界の何ほどをも知らないものたちだけが顔を付き合わせ、ああだこうだと政策を決めている。彼らのうちに一人でも庶民の生活に実感をもっているものはいるだろうか。いないと思う。つまり、みなが机上の空論で政策を論じているのだ。聡明な一条天皇でさえ、(もちろん外へ出られないのだから)そうだろうと思う。
今作の道長も一生懸命、庶民に目を向けようとするものの、彼が自主的に庶民のなかへ飛び込んでその生活を学ぼうかというとそうでもない。頑張ろうとは思っているものの、それ以上に踏み出さないのは彼もまた上流貴族のぼんぼんだからだろうし、理想の政のためにはときには箱の外へ飛び出すことも必要だ、という頭が彼にないのも、やはり「貴族として生まれたからには、貴族として生きるしかない」という概念に、彼もまたとらわれているからでしょう。

『鎌倉殿の13人』で描かれた坂東武者たちは、領主であると同時に彼ら自身も「生活者」でした。畑もやれば土木工事もする。馬を操り狩猟もして、ときには人を殺める。ともすれば京の貴族たちが穢れと遠ざけ、見ないふりをしている「土に根ざして生きる」ことの生々しさを彼らは知っている。
泰時が定めた『御成敗式目』と、彼が異母弟の重時にあてた消息文は、愛おしいほどの生活感に溢れています。リアリストというよりも、彼自身が「土に根ざした生活者」であることがよくわかる。だからこそ持ち得た視点が泰時にはあったのではなかったか。
もしかしたら六波羅に滞在した3年間、泰時は京の政の実態に初めて気づかされたのかもしれない。そしていささかでも、気の遠くなる思いになったのではなかったか。京に実権を戻すことはできないと、御家人(庶民)のことは御家人自身で決められるよう主導権を持ち続けておかないとと、あるいは思ったかもしれない。

京のやんごとなき人々の「地に足のつかないふわふわした感じ」を見るたびに、武家政権の樹立も自然の流れであったのだろうと、ふたつの作品を並べてみて、そんなことも思ったりします。

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