施政者の萌芽──『鎌倉殿』41話

初回から登場した坂東武者がまたひとり、『鎌倉殿』を去った。
実朝のよき心の拠り所として、そして皆にも愛された「最後の坂東武者」。頼家が死に実朝の代になって、時代が急激に変わっていくなか変わらぬ愛嬌の義盛公に安心しつつ、同時に変われない彼が時代から取り残されてゆく寂しさのようなものもあった。
敬愛する鎌倉殿に「忠臣」と呼ばれたことは、彼の誉れになっただろう。その鎌倉殿を「お飾り」と割り切る義時に討ち取られたことの怨念と、どちらが勝るだろうか。
義盛の着物を身にまとい、「和田義盛の妻」と堂々と名乗って鎌倉を去った巴が、美しかった。


さて、私はやはり、義時と泰時の父と子が気になる。
泰時の「お酒で失敗」エピソードはこの回のささやかな緩衝材であったけれども、この「酒」に絡んでいくつか示唆的な描写があったと感じている。
鶴丸あらため盛綱と、妻・初の泰時への容赦のなさは、あれを許している泰時の性格も表している。身分や男女の役割を超えて泰時にはなんでも言える雰囲気があるのだろうし、異母弟の朝時も、父親の扱いの違いを父ではなく泰時にぶつけるのだけど、泰時はそれも受け止め自分の手柄を譲ることで父の勘当を解く。
人の思いを受け止め、考え、行動する。彼の周囲に彼を認め慕う人が自然と集まる理由はここにある。酔いどれ大将でも郎党がついていくのは、泰時の日頃を見ているからなのだろう。

一方の義時は独断的で息をするように嘘もつくから、実務担当としては欠かせない存在なのに孤立しがち。実朝の教育も早々に放棄しいくら未熟とはいえ主君に向かって「あなたは黙って俺に従え」と力で支配しようとするから信頼も失う。
彼の強権政治を泰時の時代のために地ならし、という見方もできなくはないけれど、見れば見るほどその解釈には違和感が増す。よそから見れば泰時も時房も十把一絡げ、義時と同じ扱いの北条一族にすぎない。義時の蒔いた怨念のしっぺ返しは死後、息子にのしかかることは避けられないのだ。「お前の世のため」は、自分の行為──頼朝のやり方しか知らない自分──に正当性をもたせたいだけの言い訳にすぎない。同時に「お前のため」とまつりごとに父親一個人のエゴを持ち込むのも、泰時の言うように施政者として「馬鹿げている」行為である。まつりごとを私物化した時政と何も変わらない。しかし義時はその矛盾に気づきもせず、「安寧の世を作る」と施政者としての視点を示した息子を鼻で笑い飛ばす。


かつて義時にも、泰時のように「皆で上手くやっていける」と思っていた時代があった。しかし上総介の忙殺を受け入れさせられ、冠者どのを救うこともできず、13人の合議制も早々に破綻し、義時は己の理想をかたちにするという成功体験のないままここまできてしまった。
矛盾に矛盾を重ねるうちに感覚がどんどん麻痺していって、歪んだ精神は「小四郎」と「黒い執権」との間で不安定にふらふらと行き来する。根っこは「みんなに振り回されている大変な僕」という次男坊のままだから、いつも「頼朝さまから教わったこと」「兄上の夢」と人のせいにし、自分の言葉を尽くすこともしないから、たちが悪くなっている。

義盛を討ち取ったあと、人知れず涙をこらえる義時。
しかしもともと、義盛の甥の流罪で手打ちにしておけば良いものを、一度ならず二度までも和田勢のプライドに火をつけるような挑発行為をしたのは義時本人である。
実朝に説得してほしかったのではという意見も目にしたけれど、実朝の教育を放棄し「お前はお飾りでいろ」と言わんばかりの恫喝をしておきながら、一番困難な土壇場になって鎌倉殿に頼り、助命が叶わなかったから涙というのはあまりに都合が良すぎないか。
確かにこれまで、義時は方々から「任せる」といろんなことを押し付けられてきた。周囲から義時の調整能力が認められていた証でもあったし、頼朝や時政のやり方を下から仰ぎ見、ときに苦言を呈することのできる立場でもあったからこその信頼でもあった。今、自分が実質的トップに立ったとたん、義時は誰の批判も受け付けようとしない。かつて苦言に耳を貸してもらえず、そのために苦渋の選択をしなければならかった男が、「和田を追い詰めるな」という泰時や政子の言葉を無視した結果が今回の涙なのだ。
辛さや苦しさに涙するのにはつい同情したくなるが、義時の行動もまた矛盾だらけなのである。その矛盾のあおりを食らった実朝の慟哭にも、いまだ続く斬り合いの戦さ場にも目を背け立ち去った義時に、泰時があの眼差しを向けるのもわかる。
戦は嫌だと、なぜ御家人同士で斬り合わねばならないのかと、そうした思いを抱えながらも戦さ場で生々しい命のやりとりをし、累々の遺体を目の前にした泰時からすれば、己が招いた結果から目を逸らす父を、どうして許せるだろう。
時政が重忠の首検分から逃げた、そのことに憤り、失望した義時に、この泰時の気持ちがわからないはずはない。


思えば、異母弟の時房から「私は兄上にとってなんなんですか?」と問われて「……考えたことがなかった」と本人に面と向かって言うどころかそのあとの言葉を聞きもしない義時の他者への関心の低さと、「誰からも期待されたことなどない」と訴える異母弟の朝時の言葉を受け止め父から赦免を引き出し、「役に立つ男になれ」と指標を与える泰時の描写は、施政者としてみたとき、えぐいほどに対照的である(三谷幸喜の鬼脚本)。
「黒い執権」になればなるほど他者への関心の低さは加速し、実子であるはずの朝時への接し方は、もはや父子のそれではない。
一方、「小四郎」時代に手をかけ育てた泰時の、その内側でじっくりと醸成されてきた、のちに名宰相として名を残すその才覚は、この戦で萌芽のときを迎えた。
できればこの父と子には、一度じっくりと互いの思いを冷静に話し合ってもらいたいと思う。が、それももう叶わないのだろうか。

まつりごととは何か。
人を育てることとは何か。
時代とは。
それを考えさせられる。

それにしても政子さま、あなたが手を握ったその文官こそ、これまでの粛清のあれこれを裏で手を引いてるお方ですよ。
そしてトキューサ、あなたもそんなに兄上しか見てないで、ぼちぼち視野を広くして政治家にならんと。

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