ひとは見た目で判断してはいけません。

ムリですね。
少なくとも自分はムリ。

もっと自分は、人の美醜など関係なく公平に接することができる人間だとおもっていた。見た目なんて関係ないとおもっていた。ブスだろうが美男美女だろうが、等しく接することがこそが正義と子どもの頃はそうおもっていた。だから、平等に接するべきで、そうできない人間はい器がちっせぇもんだと。

ムリムリムリムリムリムリ無理。

女は常にブスか美人かで判断される。化粧をバッチリしている日と、ボッサボサの寝癖ついている時では全然まわりの対応が違う。特に男側な!

長くした髪を、バッサリとショートにするのが好きなのですが、ロングからショートに変えてもまわりの対応は全然違う。ロングは男ウケがよく、ショートは女ウケがよい。あくまで自分の場合ですがね。

noteでは、一人称コロコロ変えていたりアイコンがカッチョイイもの選んでいるのでわかりづらくしていますが私、女です。
言葉に性別は関係なかろうと、性別がわからないようにしようかと思ったことも一因ですが、自分から絞りだした言葉は、性別関係あるね。関係ないといいたいけど関係あるからしゃあない。
女は女のことしかわからない。
男は男のことしかわからない。
以前テレビで、ニューハーフの人が「あなたはいいですね。男の気持ちも女の気持ちもわかるから」といわれていて豪快に答えていたのが「わからないわよ〜!オカマはオカマの気持ちしかわからないもんよ〜」。確かにな。みんな自分が属するところしかわからない。そこからの場所でしか見ようとしないもの。見れないもの。

私は女の感覚しかわからない。
なんで、イケメンみるとテンションあがるし、あとはまぁ。かわいい女の子みても、うはうはなのでお得ですかね。

基本、綺麗な人は好きです。
格好いい人を電車内で発見したら、失礼にならない程度でガン見するし、ファッションを含めた外見から中身の推定もする。

これが、男側からみるとどうやら違うようなのです。

男側は、なんというか酷い。基準がかわいいか、かわいくないか。
「若くて、かわいい女の子」がそんなに好きですか、そうですか。
女の子は、にこにこ笑っていればいいですか。かわいければいいですか。
よく言われるのが「ださピンク現象」ですね。
おっさんが思う、女子はピンクが好きだろう。商品をピンクにすれば買うんでしょ。こういうピンクが好きでしょ。

こうやって、特に好きでもないピンクが世にはびこるのです。ピンクは嫌いじゃありませんが、これもまたよく言われるのが妙にダサいピンクなのだ!ということ。おっさんが思い描く「女子が好きなピンク」と実際に「私たちが好きなピンク」正規店で買ったブランドバッグと、路上で売られているぱちモンバッグくらいの乖離がある。

こうやって、型にはめられた見方を随分とされるのです。彼らにとっての美と、自分にとっての美は違う。

人は見た目で判断してはいけません。

そう、そうなのよ。
醜くみえる人も心は美しいのかもしれない。
美人なあの人が、クソったれだ性格かもしれない。見た目で推し量るのには無理がある。そんなことは、誰だって頭ではわかっているのに。

どうして、ブスは性格も捻れているように思うのか。デブをみると、体型は遺伝的なものや、病気の副作用だったりするかもしれないのに、自己管理ができないんだわだとか、だらしがないように思うのか。

美しい人には、勝手に感情移入して多少のことは許せる心になって対応しているのか。クレーム係に美男美女を配置する会社もあるそうです。いやマジで。マダムにはイケメンを。おっちゃんには、よく分かっていないだろう女の子を謝りにいかせる。怒ったってしょうがないなと思わせるのがポイントなのです。実際、これで客の態度が変わるそうな。

ところで、ファッション雑誌というのはターゲットが明確に決まっています。
既婚、未婚、年代。それによって提供する内容がガラッと変わるのです。

カジュアルや、個性的な雑誌にはなく、キレイめ路線の雑誌は常に、冴え冴えとした目線がある。
その目線とは、男の目だ。幸せのゴールが結婚でないことはみんなわかっているだろうに、それでも結婚につながるのが経営戦略上正しいと発信しているし、それを読む側もどこかで意識している。

そういえば、書店で働いている時。
とてもお洒落で、モテていた男の子が「僕、自分のタイプの女の人がレジに持ったきた雑誌チェックしているんですよ」そんなことしていたのか。私も常連の格好いい方の買っていく雑誌はチェックしていたけども。
「でね、僕がキレイだなって思った人はだいたい同じ雑誌買っていくんですよ」

ちょいと試験的に課金してみます。その雑誌は線より下に。

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