負けたものの末路。

満たされない。
そんな恵まれて馬鹿な病を抱えている。
アイデンティティの模索の時期は、もう過ぎたはずだ。
ああ、なんて恵まれている。
この世は、メディアがニュースでたれ流すような悲惨な時代ではない。
個が今までにこんなに肥大した時代はないそう。
たしかに、そう。
生きていくだけで精一杯で、職業が生まれた場所や身分で決まることはない。自分で自分の行きたいように生きることができるのです。
うん、ま。不況だし。大変なんだけどね。身近な人が世の中を変えたいと……えーっと、本気よ?本気で世の中を変えたいと信念を貫くために。そのために必要なものは教育だと詳しいことはなんとなく伏せますが、会社設立とか法人立ち上げとかやってお金の落とし込みからはじめているような人もいる。

大変なのは知っている。
ストレスで、自力で起き上がれなくなった時はさすがにヤバいとは思ったが、この人は退屈など無縁。

私は人間関係はそこそこ恵まれていて、楽しそうなことを模索して自ら先陣をきってやっていく人や、「私はこうしたいんだ」といえば的確なアドバイスをくれる方達が思えば常におりました。

だから、いつだって自分次第。

人生を楽しくするのも。
楽しくするために、多少の苦労をするのも。
やりたいことがあるのに、そっぽ向いて部屋で縮こまっても。
また、縮こまりながら生活していくだけで目減りしていくお金を心配しながら、その心配の爆弾を手放さないのも。すべては私の自由。

暗い、黒い、闇。

私は、いわゆる負け組なのだと思う。
少なくとも勝ち組ではないから。

仕事もなんだかんだで、フラフラとあっちに行ったり、こっちに行ったり。
「よし、手に職だ」と就いたところは、全く興味のない分野は頭が理解する気力を放棄するからダメだってという教訓しか与えてくれませんでした。

なりたかったものはある。
そして、今でも目指している。
目指していきたい。
そういうものはある。

その職に就いていない私は負けているのだろうか。
目指したいだけで、その為の作業や労力を厭うている私は負けたのか。

それとも、夢を追うのをやめたらその瞬間が負け確定?

負けたら、その人はどうなるの。
負けたら、その人の心はきっと一度死ぬ。それを志していた自分を殺す決断をするのだ。
そういう人は、どこに向かっていくのだろう。
別の道で、満足しているのかな。

そして、どれだけの人が負けたのか知ってみたい。

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ちょっくら、手術することになりました。