人生の教科書はどこにある?

不景気。
モノは売れない。
財布の紐はぎゅっと硬く閉じられて、安いほうへ、安いほうへと手が伸びていく。
仕事だってそうだ。
心の判断も、ぎゅっと硬く閉じられている。それは、甘え、怠惰、変化を恐れること、諦め、はたまた覚悟だったりする。

別に現状維持が悪いっていいたい訳じゃない、何かあるたびに逃げてる人もいる。何かあったら辞める。何かなくても辞める。自分の身を守るために辞める。

いったい、何がしたくて何を求めて、もしくはある程度の安定だけで何もいらないのか。
選択肢が多いのは、とても自由で本来であれば望まれた素晴らしい世界。やろうと思えば、大抵の願ったことは叶うはず。それでも、様々なブレーキをかけざるを得ないものが次々とでてくる。
世間体、この年だしという言い訳、そもそもの気力がなく要領よく、楽できるポジションとりをはじめる。それは、とても賢い選択。
ちょっと前に「女はみんな同じ教科書を読んでいる」というタイトルの本が出ていた。
タイトルは、もしかしたら違うかも?
でも、だいたいこんなニュアンス。ああ、なんて羨ましい。性別関係なく、そういう人たちはいる。
誰に強制された訳でもなく(もちろん、個々の家庭事情で選択肢のない人もいるけどね)あたりまえに、あたりまえの道に進む。
「ねぇねぇ。その教科書どこにあったの?」
自分には、茨の道しか見えないんだけど。そもそも、これって道だよね?
そんな、心もとない暗所を歩いてきたんだけど。
あの頃は、その教科書を読んで前へならえの人たちを軽蔑していた。
だって、気味が悪いほどにみんな同じ答えしか返ってこなかった。自分は、中途半端にやりたい事があると、それを心の中にそっと掲げて、現実から目をそらしているにすぎなかった。やりたいことって、やるなら徹底的にやなきゃならぬ。

その後は、一度レールを外れた人に甘くはないのです。
それでも、レールを外れた人用の教科書もどうやらあるのです。
だって、やっぱりみんな同じようなことばかりいうもの。かくいう私だって常識にてらって自分のことは棚にあげて人を批評して噂話に加担するのだ。
そうか、私もどこかでその教科書を読んでいるんだな。

本当に強い人は、そんな教科書を割いて火にくべる。パチパチとはぜる音がする。燃えきれば灰が残るのみ。
強い人は、己の道をその道を教科書に刻むのです。。できるかいっちゅうねん!!
こういうのって、意識高い系と呼ばれる人がそういうハウツーとか思想とか好きそうだよね。
思い返せば、私も多少のこじらせた意識高い系だったのかも。笑

だから言えることがある。
疲れた。
ぼく、疲れたよパトラッシュ。

何かを成し遂げようとするのもだし、日々をふつうに過ごすための現状維持ですら、ぼく疲れてしまったんだよ。
パトラッシュゥゥゥゥゥゥゥッッッッッ!!!!!!!!

でもまあ、こうやってnoteをはじめたのも「やりたいことやって、楽しくすごす」ための一つでもあるから、疲れきってはいない。
でも、私はなるべく教科書を読もうと思いました。きっとそれが一番ラクに生きられることだと思ったのです。
読んで、ラクしてしょうもないと思いながらもふつうに働いて稼いだらめんどくさい事務手続きは会社がやってくれる。
ほどほどに頑張って、ラクができるから私には力が残っているはず。
その力は、やりたいことにつぎ込んでいきたいのです。

切に願う。
ちょっとづつでも、目的のためにちゃんと前に進んでいきたい。

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ちょっくら、手術することになりました。