悪夢を撒き散らす

悪夢のデパートみたいな友人と会ってきた。
悪夢とは、実際の夢ではなく現実の嫌なことばかりを引き延ばす天才のことをいう。とりあえず、ここではそうします。

この友人に会って、久々だしせっかくだから楽しく過ごそうと心に決めて待ち合わせ場所へと向かった。
お互い今年が本厄。
やっぱり年のせいもあり、色んな大変なことはある年齢になってきた。
だから、こんなことがあってという会話は悪夢のようなことが多いのです。仕方ない部分もある。

だけど、会う約束をしたメールの中のやりとりで「愚痴大会」というキーワードが気になってはいた。
それが気になったからこそ「楽しく過ごそう」と心に決めた理由もそれ。
前職で、さんざん愚痴を言いました。
前職で、心を病みはじめ囧rz
その心の症状が身体にも、出てきたことが辞める決心となったのです。悪夢のような日々でした。その中にいる時は、悪夢だと明確に気づくことって難しいから身体症状がでて決断するいい切っ掛けになった。

そんな状態でしたので、愚痴は言わなきゃやってられない。
その時はね。

だけど、今となっては。
愚痴なんて言いたくない。
言霊の力でも、科学的な力でも、心理的効果でもなんでもいいが、何かを悪くいうのって、それにリアリティがあればあるほど、引きずられるものなのです。

それを警戒していた。

んだけどねー。
よく喋る人で、そういう人って
自分が喋って楽しければオッケー。
このことを改めて再確認しました囧rz

おおおおおおお。
話題が楽しければいいけども、物事ってひとつの面からみたら悪いことでも、反対からみたらいいことだったりもするじゃない。
そういった物事の全てを嫌な面からしか咀嚼しない女でね。

ただ、笑い話として話をしているから大丈夫だけど、そんなに人生さ悪いことばかりじゃないよ?

きっときみは、そうやって物事の嫌な面ばかりを掬ってとっているから、人の噂話ばかりでつまんないじゃないかな。

私に浴びせた、嫌な世の中の言葉たち。
私は聞きながら、今にもシャワーで流し落としたい衝動にかられた。

一年に一度会うくらいだから、たまには付き合ってもいいかと思った。
頻繁に会わない分、楽しく過ごせるんじゃないかと期待した。
もっと、楽しく人生を過ごす方法ってあるよ。

今の自分は人からどう映るかと意識すること。人の目を気にしろって話でなく、自分の美意識のお眼鏡に叶っているかです。
人の批判より、少しのいいことをすくいとる。いいことを、しっかりと認めて言葉にするだけで、自分も話している人もふんわりとした、いい気分ではいられる。

実は、タイムリミットがあって切り上げて帰ったのですが、前職の嫌なことを思い出して鬱々とした気分が蘇ってきていることに気づいて、ハッとした。
引きずられている……!
これは、マズイ。
この友人とはたまにだから、切り替えはすぐにできる。
ただ、職場とかにこの手のタイプがいたらけっこうキツイよね。
無表情を崩さずに、ひたすら距離を保ち続けいるのだろうな。
悪夢を撒き散らす人は、その言葉の陰鬱な攻撃性に気づいていただきたい。
周りの人は、悪夢に絡みとられないようにお逃げいただきますよう。

ここから先は

0字

¥ 100

ちょっくら、手術することになりました。