モノづくりは孤独であれば

あいかわらず、OS更新してから記事が読めなくなっています。
ですが、書ける。

それはおいといて。

ハンドメイドの販売をしている友人がいる。
よくあるようなものではなく、今、特許の申請をしている。

そういうアイディア勝負の、そこそこ画期的なもの。

その人のお手伝いを、たまーにしている。

覚悟があるならば、それにかける気があるなら、全力で向きあうならば、できる手をすべてうっていく必死の願いがあるならば、歯を食いしばってしがみついていく執念があるならば。

そうであったら、話は変わっていたでしょう。

そうであったら、よきパートナーとして仕事としてタッグをくんで、もっと進めていた。それで、お金を落として、生計を立てていくことも夢物語ではなかったかもしれない。

そのモノは、販売をすれば、着実に売れるのです。確実にとまではいいきらないけど。

実際にオーダーの話もちょこちょこと頂き、ハンドメイ作家としては順調すぎる道を歩きだしている。

人脈をたどって、店においてもいいよとも言われたりして、順風満帆すぎる。

本人のやる気さえ除けば。

いつ、制作がなされるか。
それは、その友人の気持ち次第。

それは、誰だって作業時間とるのは大変だけど。それだけなら私はそんなに文句は言わない。

実際のところ、弱音を吐きまくって、自然とサポート役となっている私と、もう一人が叱咤激励して、やる気のエネルギーを後押しして、という状況。

宣伝や、販売で使っているSNSやマーケットのログインアカウントは共有でみれるようにして、そうやって助けを求めるシステムが確立されていった。

それは、自分の不安を他人と作業を共有することで、薄めるため。

タスク管理や、目標を定めてやっていこうということは「追い詰められるから苦しくなる」という理由であえてしなかった。

精神的に弱いところもしっているからこれ以上抱え込まないようにと、思っていた矢先にオーダー注文がはいった。

そのオーダーを、先回りして今の状況では未定なのでどうなるかわかりません。と、伝えた。
私の勝手な判断だったけど、これ以上の精神的に追い詰める材料をそろえても仕方ないという判断だった。

オーダーがくるのは、制作もろくにしてないのに、最近はじめたブログでのハンドメイド作品の報告に力を注ぎ始めたからと、思いあたり、ブログストップしようといった。

オーダーを引き寄せてしまうから、といい、新たなオーダーの件を口にしたら「その人は受けるの」と。
「え?」
よくよく聞いたら、前からの約束で作る勘定にはいっていたと。

でも、そんな細かいことまで知らされないし、知らせる義務もないし。
オーダーをした人には失礼なことしたし、慌てて謝罪と事実確認して訂正をした。

こうかくと、私の勝手な行動で混乱をきたしただけのようにみえるな…。

ひとりでは、不安だから。
人には悪く言えば依存する形でなりたっていたのでしょう。

それは今もあまり否定はできない。

何かにつけて、作業を割り振ろうとする。といっても、製作自体冬眠状態が続いているから、突発的にです。見かねて、やるよって言ってしまうレベルではあるけど、お金の見返りはありません。感謝はされています。

もう、手を引こうと思いました。
モノ自体はビジネスとして考えると、お金を生み出す可能性を大いにもっている。だから、応援したいし、自分もその夢に一緒にかけてみたいともおもった。

現実は甘くないことも承知の上だけど。できることは、やっていこうとおもった。

舵をとるはずの人間が、勝手に嵐に突っ込んでいったり、沈んだり、ちょっと疲れた。

孤独になるといい。

孤独であればいい。

本来、モノづくりとはそういうもの。

サポートを受けられるかどうかは、その人の資質次第。人徳。

私はその船から降りる。



ちょっくら、手術することになりました。