相手の卑屈レベルに合わせる必要はない

気づいてしまった(´ཀ`」 ∠)

先日、友人からぼくに「嫉妬している」と言われたことだけど。

言われてから、嫉妬されている事柄について、ちょっと控えてたのさ。

その友人は、繊細なところがあってというか本当に心の病気持ちの人だから、あんまり刺激しないほうがいいのかと考えた結果だったりしたのだけど。

ぼくは、ぼくの好きなようにやってきた。

そして、その嫉妬されている事柄は、ようやく実をつけてきた果実なのよ。

その実をつけてきた木は、実際リスクはない事柄。
時間はかかるけど、正しく労力をかければ自分にちゃんとかえってくるという現代社会においては、努力は実る結果に繋がるという珍しいこと。

ね、結果に繋がらない努力多いもんね。
やれば、リターンはある。

ただ、時間はかかる。
エネルギーもかけなければならないけど、確実。

それでも、モノを作って売る作業よりはリターンは少ないから実際ちゃんと動いてモノを動かしたほうが、利率はいい。

その友人は個人でモノを売っている。

そっちのほうが、稼げるだろーが!

嫉妬するまえに、作れや。

それはおいといて……

ぼくが危惧したことは、相手のことを思って、気を遣って、縮こまることをしたけれど。

意味ねーわ。

無意味。

それは、何も生み出さない。
相手の卑屈さレベルにあわせて、自分が卑屈に寄り添っても馬鹿馬鹿しい。

それなら、ひとりでもやる。

嫉妬は、別にいいの。
ぼくも、嫉妬する。

羨む。

時には、殺意さえ芽生える。

その、エネルギーって実はものすごい膨大。
愛よりも。

活用しない手はないだろ。
人にいうんじゃなく、秘めて自分の内なる原動力に変えれば、自分のやりたいことを回す歯車にもなるんだからさ。

ちょっくら、手術することになりました。