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【院ゼミ】「公民的資質」とは何か vol.1

今日は、学芸大学の院ゼミでした。

わたしが来年度以降に研究する分野は
社会科教育学(教科教育学)
という割とニッチな分野なのですが、

簡単にいうと、多くの方がこれまで小学校から高校まで12年間受けてきたであろう「社会科(中学以降は公民・歴史・地理)」という教科を取り巻く、あらゆることを研究する学問です。
内容はもちろん、指導法、評価、教科教育の歴史、海外の社会科教育(わたしの進学する研究科はアメリカを研究してる方が多い)などなど。

ここに進学しようと思ったのは、
イベントで終わらない主権者教育」を本気で実現したかったからなのですが、詳しいことはまたどこかでお話ししようと思います。

「公民的資質とは何か (唐木清志)

こちらが現在、分担して読んでいる本です。

https://www.amazon.co.jp/「公民的資質」とは何か-社会科の過去・現在・未来を探る-唐木-清志/dp/4491032831

ザックリなにが書かれているのかというと、

社会科という教科の究極的な目標である「公民的資質」の育成を、教科教育の研究者はそれぞれどう捉えているのか?

ということです。

地理、歴史、公民などの社会科科目って、

「暗記科目じゃん!」とか「一夜漬けすれば点取れるじゃん!」「いきなりバッキュン!フランス革命!」とかのイメージが強いと思うのですが、

そもそもなぜ社会科を学ぶのかというと、
平和で民主的な国家・社会の形成者の育成」をするためだといわれています。

これは社会科だけではなく、教育全体の目的でもあります。

第1条(教育の目的) 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。 -教育基本法より


そしてどうやら戦後の学校教育の中で、この教育の目的を達成するには子どもたちの中に「公民的資質」とやらを育てることが必要不可欠で、それを社会科という科目が担おうじゃないか!と言われるようになります。

「公民的資質」という言葉がはじめて登場した1969年度版 『小学校指導書 社会科』には、こう書かれていました。

「公民的資質というのは,社会生活を送る上で個人に認められた権利はこれを大切に行使し,互いに尊重し合わなければならないこと,また,具体的な地域社会や国家の一員として自らに課せられた各種の義務や社会的責任があることなどを知り,これらの理解に基づいて正しい判断や行動のできる能力や意識などを指すものである。したがって,市民社会の一員としての市民,国家の成員としての国民という二つの意味を含んだ言葉として理解されるべきものである」


18歳選挙権の実現以降、「イイ感じの市民・国民を育てようぜ!!!」というシティズンシップ教育が推奨されるようになりましたが、むしろ50年前の方が、こういった実践を熱心に取り組んでいたといえます。というかそもそも戦後の反省を受けて「自分たちの頭で自分たちのことを考えられる人」を増やすことが、もともとのスタートだったはずなのです。
(このあとの改訂から、徐々に社会科は細かく分化していき、「暗記科目」と化していきます....)

ただこの「公民的資質」という言葉が1969年に登場してからもうすぐ50年経つわけです。時代が変われば、理想の「公民」も変わります。

子どもたちがどこまで何ができるようになったら公民的資質が備わったといえるか?

という問いは、社会科の先生や研究者のなかでもずーーっと議論されてきたようなのです。

ここを深掘りしていこうよ〜〜というテンションの本、ということになります。

かな〜〜りマニアックな話になってしまいましたね...でも「社会科って意外にパッションのある教科なんだな〜へ〜」くらいに思っていただける方がいたら嬉しいです...

そもそもの目的は、年号覚えるだけじゃないんだよ...

もともと社会科が大っ嫌いで、逃げ続けていた人間だったからこそ、それをドンドコ伝えていきたい。(し、自分自身の認識も変えていきたい)

今日はここまで。

次回はわたしが担当した箇所(第6節)について、すこしご紹介できればな〜と思います。


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