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#10 ごめんで済まないことは絶対に言わない。

7月は結構きつかった。
思うようにいかないこと、悲しい出来事、感情的になってしまうこと、色々重なって、パワーダウンしていたように思う。

不思議なことに、8月に入るとそれらのマイナスなものから一気に解放され、すごく良い時間を過ごせている。
この前までは、この苦しい重い感じから抜け出せないと思っていたのに、あっという間に楽になり、気がつけば視界良好になってたのだ。ヨカッター。

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先日、もういいや!と思ってしまうほど、怒り、兄と衝突してしまうことがあった。
「怒る」という感情については、出し方をコントロールしているつもりなので、何も考えずに自分があぁなってしまったことに、私自身ちょっと驚いた。

気持ちが落ち着いてから、なんであんなに怒ってしまったのか、を考えてみたとき、「自分が大切にしていることを、相手が蔑ろにしていたから」なんだと気がついた。

「私が大切にしていること」
それは、ごめんなさいのひと言で済まないようなことを相手に言わないこと。

たまに、え。そこまで言っちゃう??と、耳を疑ってしまうようなことを言ってくる人がいる。
そういう人は大抵、後からごめんね。って言ってきて、結局なにも解決していないのに、一方的に和解を押し付けられ、次に会うときには何も無かったかのように振る舞ってくる。

ごめんなさいは、リセットボタンではない。

家族や恋人、親しい友達だからこそ、言ってはいけないことを自分本位にぶつけるべきではないと思う。

切っても切れない縁だから、この人は自分を分かってくれる、許してくれるから、そう甘んじて、一時の感情だけを優先して、本気で思ってもいないことをぶつけてしまいがちだ。

でも、切っても切れない縁だからこそ、相手の気持ちを想像して、思いやり、丁寧にコミュニケーションをとらなければいけないと思う。
どんなに腹が立つことがあっても、相手の人格否定や、相手がそれまで大切にしてきた事の否定、これからやろうとしていることをバカにするような言い方は、決してしてはいけない。



では、カーッとなると一方的に言ってはいけない言葉をぶつけ、ごめんのひと言で済ませて一方的にリセット、このようなことを何度も繰り返している人は、なぜそういう事をしてしまうのか。

その人の感覚として、「自分の人生の中に、相手が生きている」と思っているのかもしれない。

そういう方の主張はいつも「主語が自分」。
自分はこうだった、自分はこうしたのに、自分だって、、、と強く押し付けてくることが多い。
あと、全く関係ない議論の中で、「過去の苦労話」を出してくることも共通項としてあてはまりがちだ。

私はそういう人のことを、「悲劇のヒロイン症候群」と呼んでいる。(口悪すぎ、笑)

やはり、人生は楽しく清々しく生きたい。

私は、自分の人生誰にも譲らん!と思って、やりたいことを自由にやっているし、私の周りにいる人だって、それぞれの人生軸の中で過ごしている。
そんな中で、自身の軸よりも、私の人生軸を最優先して生きてくれる人なんてなかなかいない。

親でも、兄弟でも、恋人でも、親友でも、人は人なので、自分の人生があると同時に、相手の人生がある。

また、みんなそれぞれ、大きさは異なったとしても、過去の苦労は何かしら抱えている。
それをまるで勲章のように掲げて、慈悲を集めるべきではないと思う。
「された、やられた」の記憶を持ち続けるより、その時に自分が感じたこと、考えたことを大切にするべきだし、そんな大変な時、自分に何かしてくれた方への感謝の心を持ち続けるべき。

過去の苦労した経験は自分にとっての財産でもあるので、むしろサラッと面白く語れちゃう人をみると、なんて素敵な人なんだろう、、!と感じる。

うるせぇ、シネ!と親に言っている反抗期少年、
別れる気もないのに、もう私たち別れよう!と言っているメンヘラ彼女、
言いすぎたと思って、SNSの送信取り消し機能をよく使うそこの方!

ごめんなさいはリセットボタンじゃない。
大切な人への言い方は気をつけましょう。

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