ウマ娘3期感想(批判多め

3期単体としての感想

アプリやウマ娘プロジェクトそのものの媒体とは関係なく、単品のアニメとしての評価

作画

作画は素晴らしかった
スタジオKAIが赤字らしいといわれてたけど、流石に資金が突っ込まれてたのかレースもライブもヌルヌル動いてた印象で特に文句の付け所はない

楽曲

OP・EDは正直個人的にはそんなに刺さらなかったけど、まあここは人によって感想が変わるところだと思う
EDが1期っぽい方向性に回帰したのはこれはこれでありかなと思ったけどそれくらい
ロストシャインと光の後ろ姿は楽曲単体をちゃんと聞いたわけではないけど、単純に作中に流れる挿入歌として効果的な役割を果たせていたと思う

キャラクター

キャラクター性については、そもそもアニメの女の子なんてかわいいか美人か意図的に醜く描かれてるかモブかの4択しかないと思ってて、『ウマ娘』の世界観的に前者2つのどっちかにしか当てはまらないから見た目部分は考慮しないものとする
内面っていう部分について、それの良し悪しを評価するレベルまでアニメ内で掘り下げが進んでいたのがキタサンブラック・サトノダイヤモンド・シュヴァルグランの3人だけと思っていて(サトノクラウンはぶっちゃけレースシーン以外の掘り下げが全然見えなくて掴みどころがないままだった印象)、その中で一番キャラクターの芯が通っててすっきりしてたのはサトノダイヤモンドだった

サトノダイヤモンドに限らずウマ娘の性質上、何をしたいかっていう目的の部分は世界観的に「(特にG1を)勝ちたい」っていうところで共通しているわけだけど、サトノダイヤモンドの場合その目的に「サトノ家」という属性(過去一族が挑み悉く敗れ続けたことでサトノ家はG1を勝てないというジンクス)が付与され、それを自らの手で打ち破るという、目的に具体性を持たせるキャラ付けが為されていてよかった
それが昇華されたのが6話でこの回は良回に相当する出来だと思う一方、終盤史実の都合に振り回される形で事実上の退場を余儀なくされたのは痛かった

シュヴァルグランはメイン回が12話までなく、12話で感情を爆発させる構図
それ自体は悪いことではないと思うけど、そこに至るまでの積み重ねがあまり多くなかったせいで、シュヴァルグランというキャラクターの芯、要になる部分がどこに置かれていたのかが今一つ掴み切れなかった印象
自分が見落としてたり忘れてるだけかもしれないけど、もっとキタサンブラックに対して複雑な感情を抱くシーンが挿入されてもよかったのかな?と思う、どちらかというと自分一人で考えてたり姉妹との絡みが多くなっててシュヴァルグラン-キタサンブラックという関係性が個人的にはあまり見えてこなかった

キタサンブラックのキャラクター評はそのまま脚本評の一部に直結するのでひとまとめにしてしまう

ゴールドシップ以外のチームスピカのメンバー(トレーナー含む)、ナイスネイチャ以外のチームカノープスのメンバーは正直モブも同然でいてもいなくても変わらないし、無理して出さなくてもよかったのでは感

ドゥラメンテに関しては史実通りなことをやっただけではあるのだが、宝塚記念以降の扱いはもっと何とかできなかったのかな、とは思うところ

脚本

このキタサンブラックというキャラクターが事実上のソロ主人公といっていい脚本構成だったにもかかわらず、このキャラクターがダントツで魅力を感じないという致命的な欠陥を抱えていた印象

主人公が向かうところ敵なしの魔王みたいな存在で全てを蹴散らす、みたいなのがウケよくないというのは分かるし、実際問題キタサンブラックの場合仮に皐月賞前までで天狗になっていたとしてもドゥラメンテに皐月賞・ダービーでそういうのバキバキに圧し折られるから、そこで一度メンタルブレイクするのは理解できる
実際のアニメでも菊花賞前までそうなってたし、ドゥラメンテが菊花賞を怪我で回避するというニュースを見た時に良からぬことを考えてある種の自己嫌悪に陥るというのは、いかにも等身大で壁に当たった主人公という感じでよかった

ただ5話あたりから雲行きが怪しくなってきたというか、脚本の悪いところが出たというか
8話冒頭でいきなり凹んでたり、天皇賞秋を勝った後に絶望的な表情してたり、なんというか非常にめんどくさいキャラクターになってしまっていた

加えて悪さをしていたのが悪乗りでちょくちょく挟まるギャグ的な描写
宝塚記念ゴール直前でリバーライトに交わされた時の「誰~!?」だったり、商店街の箱を上に高く積み上げて到底降ろせないような状態にしたりと、ギャグ的な描写と分かっていてもあまり気持ちのいい態度とはいえないなというのが多かった

全体の脚本としては、問題があるというか無理があるような感じ
具体的には、まずキタサンブラック(+サトノダイヤモンドの菊花賞)というレース数を消化することを最優先にしすぎた結果、アニメ全体として詰め込みすぎで窮屈な印象が強くなってしまっていたこと
4話ラストの天皇賞春や7話冒頭のジャパンカップなどダイジェストで済ませたレースもあるしレースがほぼない回もないわけじゃないけど、全体的にレース描写がかなり多かった

その割にレース中の起伏に乏しく、「ハァー!」と気合を入れているか最終回の「勝ちたい!」連呼で芸がなかった
もっと他になんか言うことないのか?とか、息継ぎしてまで「ハァー!」と言い続けるせいでレース中の描写が物凄く冗長・退屈に見えてしまうのが大きな問題
作品内で少なくない割合を占める部分が面白くないので、作品全体としても締まらず見てて退屈・つまらないという風に感じてしまった

さらに追加するならば、「ここ本当に必要だったのか?」と疑いたくなるような場面が少なからず挿入されていたこと
アプリユーザー向けのサービス回と分かった上でそれでも10話ははっきり言って不必要な尺を食いすぎだと思うし、それ以外にも変なところで圧縮してるのに変なところでだらけるというのが散見された
だから「尺が足りない」「2クール必要だった」は甘えだと思う、描写の取捨選択の余地は十分あったはず

単品として6話サトノダイヤモンドの菊花賞回や12話シュヴァルグランのジャパンカップ回など評価できる回もあるにはある
ただサトノダイヤモンド・シュヴァルグランは結局のところ主人公ではないわけで、例えばアニメポケモンでロケット団の回がいいとか、ワンピースでゾロやサンジのバトルがいいとかそういう感じ
これでポケモンのようにサトシのバトルも面白かったり、ワンピースのようにルフィの戦いも面白ければ特に文句も出ないのだけれど、この作品の場合キタサンブラックのレースシーンが悉くつまらないために評価できない代物になってしまっている

テーマとして「衰え」を出したかったというのはゴールドシップやキタサンブラックの描写から理解できる
ただしキタサンブラックでそれをやる必要があったのかは甚だ疑問で、衰えの美学を表現するならそれこそゴールドシップの方がよっぽど適役だと思うし、脚本という箱に無理やり詰め込んだ結果歪なものになってしまった印象

トータルすると、主人公キタサンブラックは主人公ゆえの描写の多さの割には結局のところ何がしたかったのかが今いちピンと来ないキャラクターになってしまっていて、それに脚本全体が引っ張られた上で変な味付けを施した結果、作品全体がバラバラになってしまっていたという感じ
そんなチープな出来だから全部終わった後の映画化発表に話題持ってかれるんだよ

他と比較して

1期はぶっちゃけあんまり覚えてないから比較できない
ただこのとんちきな世界観をうまく説明しつつ、部活動系の青春アニメの亜種的なものとして、或いは史実を考慮した時に避けて通れない1998年天皇賞秋に対して真正面からぶつかっていったりしているのは素直に評価したい
局所的に現在とのギャップを感じたり、持ち込んではいけないレベルのifを持ち込んでいるのは個人的には引っかかるけど

2期との比較では2期の圧勝
2期でできていたことが3期でできなくなっていた

RTTTとは色々毛色が違うというか、4話構成と13話構成だったり作中経過時間が1年にも満たない半年少々と3年弱だったりで比較が難しいんだけど、RTTTの方がすっきりしてた
RTTTはキャラクター間の関係性とかでアプリユーザーだったりウマ娘というコンテンツを多少なり知っている前提っぽいつくりにはなっていたものの、その分色々と丁寧だったかなという印象

だから、他と比べてしまうとより3期はチープというか、物足りないというか
見る側が特に2期やRTTTでハードルを上げていたというのは間違いなくあるとは思うけど、それを踏まえても平凡な出来だったなと言わざるを得ない



映画は家でゴロゴロしながら見れるようになるまで見ないと思う(休みない競馬忙しい劇場まで行く金勿体ない)けど、こんな出来にならないといいね

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