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「ラランドのサーヤです。2021年から来ました」

お笑いは積極的に吸収するわけではないにも関わらず、ラランドだけは好きだ。YouTubeも更新するたびに見てしまう。たぶんYouTubeで公開されているものはすべて観ている。

広告代理店に勤務する傍ら、フリーのお笑いコンビとして活躍し、何でもできる(ように見える)サーヤと、上智大学を中退、両親からも勘当されていて、情けなくて、何をやってもダメな(なフリをしている)、愛おしいニシダとの対比が美しい(?)お笑いコンビだ。サーヤによる的確なボケと、なまくらよりも斬れ味が鈍いニシダのツッコミが若者を中心に人気を博している。

そんなラランドのボケ担当であるサーヤが突然Twitterでこんなことを言い始めた。

このツイートが目に飛び込んできて、サーヤ天才かと直感した。

その後、「2021年から来た」サーヤはこう続ける。

なるほど。「2021年」はいまだポンデリングが人気のようだ。

なるほど。「2021年」という「未来」では洋式トイレが主流なのか。

Twitterでのこの一連のツイートには高度なボケがさりげなく織り込まれているように思う。反射的に自分がつぶやいた内容をまとめてみたい。

まず、「ラランドのサーヤです。2021年から来ました。」という発話。鑑賞者に前提条件を植え付ける意図だろう。この発話により、サーヤ自身が未来(あるいは過去)から来たのではなく、鑑賞者を過去に持ち去るという効果をもたらす。

そもそも、前提となる知識の共有がある。

「未来(過去)から来たけど質問ある?」というスレッドが何年も前に匿名掲示板で流行したらしい。未来から来たと自称する「ねらー」が、未来ではどのような世界になっているかを質問に回答する形式でスレッドは進行していく。たとえば、「未来の政治はどうなっているか」、「未来での流行は何か」、「未来のテクノロジーはどうなっているのか」といったように。

「ラランドのサーヤです。2021年から来ました」はこの前提をもとにしていると思う。それゆえに、「未来(過去)から来たけど質問ある?」というスレッドとは反転させた笑いが成立する。サーヤの発話はさらりとした短い文章であるがために、読み流してしまうかもしれない。しかし、じっくり読むと疑問に思う。現在は2021年だ。「2021年から来た」とはどういうことか?ここではまだサーヤの意図を明確に汲むことはできない。

次のツイートでは「ポンデリングはまだ人気ですか?」という「過去」から投げかけられる質問に対して「2021年から来たサーヤ」は回答する。ここに来て、初めて鑑賞者は「2021年」という設定が高度なボケであることを、鑑賞者自身が2021年から過去に飛ばされたことを発見する。この時制のズレは笑いの効用だけでなく、鑑賞者に立ちくらみのような目眩を引き起こさせる。

そして、「ポンデリングはまだ人気ですか?」という質問に対して、通常ではボケになり得ない「はい。一番人気があります」という回答がボケに変性する。2021年現在に起きていることを説明するだけでボケが成立する。サーヤが設定した前提を共有させられることで、一見何の工夫もない発言がボケになる。非常に斬新で画期的な発想だと感じた。

「面白いことを言う」という行為にも様々なグラデーションがある。面白い内容で人を笑わせつつ、笑いの前提となる条件を再設定することで、「当たり前」のことを笑いにする、サーヤの発想が好きだ。

最後にラランドの中で一番好きな漫才を紹介して終わりにします。このネタで今年のM1グランプリ、悲願の優勝をしてほしい〜〜〜


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