池袋暴走事故の裁判 外野への違和感
遺族が、飯塚幸三被告(90)に謝罪しろ、謝罪しろ、ということに対しては、なんとも思わないが、外野が、飯塚被告に謝罪しろ、謝罪しろというのは違和感しかない。悪いと思っていないから、謝罪しない、それでいいではないでしょうか。悪いと思っていない人間から謝罪を勝ち取ったとして、外野の連中は何を得たいのでしょうか。
こういう外野の人たちは本当に愚か者だ。刑事裁判なのだから、たんたんと裁けばよい。そもそも、(表面上でも)謝罪すれば、悔悟を示せば、刑が軽くなる(傾向がある)というのがおかしい。謝罪しようが、反省しようが、そんなことは考慮せず、犯した罪の被害者感情、社会的影響を考慮して、死刑なら死刑、無期なら無期で判決をだせばよいだけだ。
お前がやったんだろ、謝罪しろ、謝罪しろ、の延長線上には、お前がやったんだろ、しゃべろしゃべろ、の自白偏重主義に行き着く。自白偏重は非常に危うい。何しろ、あとからやっぱりやっていません、とひっくり返されたときに、検察側に切るカードがなくなる。自白だけで物証がない場合、再審請求された時に弱いな。本当に、こいつは犯人だろう、と思う連中が再審で無罪を勝ち取っている。自白しました、これで一件落着、で状況証拠や物証を固めるのをやめたからだ。
自白偏重、「悪いこと」をやった人間は罪の意識があるから、謝罪するものだという意識を日本人の大半が持っているから、日本の外交はこんなにみじめで、こんなに情けない。相手国の「良心」に働きかけるというのは止めるべきだ。はなから容疑者(敵)からは協力、妥協は得られない、という覚悟のもとに外交をするべきだ。日本人の多数の今の幼稚な考え方だと、朝鮮、中国、欧米と闘えない。
自白しようがしまいが、謝罪しようがしまいが、状況証拠と科学的な証拠を積み上げて、淡々と裁判をして、死刑なら死刑、無期懲役なら無期懲役、懲役20年なら20年にすればよいと思う。
飯塚被告がプリウスに問題があったというのであれば、、そう主張させてあげなさいよ。本当に。検察に、検査機関に、トヨタにプリウスに問題がなかったことを証明させればよいだけじゃないですか。
遺族も外野も、飯塚被告の問題としているようですが、高齢で判断力の衰えた人たちから運転免許証を取り上げる法律をつくらないとこういう事故はまた起きるよ。そういう反発が起きることには踏み込まないでこの問題を取り上げるのは、私から言わせるとナイーブで、馬鹿だと思う。
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