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1986年1月の渡辺美里


数日後に共通一次をひかえた浪人生だった1986年1月のこと。予備校に籍は置いていたけど、ほとんど行かずに図書館で勉強して(るふりをして)いた。

ある日、岡山RSK山陽放送のテレビ番組『MUSIC SHOT GUN』を見ていると、渡辺美里がゲスト出演するというアナウンスがあった。ちょうど新曲「My Revolution」がリリースされるタイミングでのプロモーション出演。前年にリリースされたデビューアルバム『eyes』がすごくよかったので、期待していた新曲であった。

そこで、金はないけど時間だけはたっぷりとあった僕は収録日に岡山駅で待ってみようと思った(勉強しろ)。山陽放送に電話をかけて、収録日と時間を確認(たしかちゃんと教えてくれた。いい時代だなあ)。

そしてその日、岡山駅でぼんやりと待っていると(だから勉強しろって)、2階からぞろぞろと人だかりの集団が降りてきた。なんだなんだと思っていると、中心にいたのは郷ひろみだった(笑)。ちょうど二谷友里恵との結婚報道が出たばかりのときで、その日ちょうど岡山でコンサートだったらしく、芸能リポーターや記者たちが追っかけてきてて群がっていたのだった。その喧騒のわきから、男性ふたりとともに渡辺美里が降りてきた。意を決して声をかけたら、まさか待ってるファンがいるとは思わなかったようで、ものすごくびっくりされた(一緒の人はふたりともEPICソニーの担当者だった)。用意していた色紙にサインをしてもらって、がんばってください、と言葉を交わした。そんな思い出。ブレイク直前の渡辺美里はキラキラと輝いておりました✨

サイン色紙はおそらくどこかに──その写真がないと説得力に欠けますなあ(笑)。

#渡辺美里 #MyRevolution  

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