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わたしがここで二度目のインターンをする理由

大学4年生の冬。

卒業する前の、きっと最後の長期休み。

わたしは気仙沼にまた戻ることに決めました。

キャンプを応援したりキャンプのために何か力になったり、それらがしたいのであれば、インターンという形以外にもいろいろあるような気がします。

少なからず時間や熱量、作業や思考を必要とするインターンという形をとらずとも、そばで誰かを応援したりとか、シェアをしたりとか、いろいろできます。

だったらどうしてわたしはまた戻ることに決めたのか。最初は直感と勢いで手を挙げましたが、今は自分なりの意味を持っています。もちろんキャンプやキャンパーのためにということはありつつ、それとは別の、自分なりの意味づけ。

それは、「走り切る」と「一緒につくる」がしたいからです。

まず、「走り切る」。

わたしは一年前の冬にも同じ場所でインターンさせていただいたのですが、自分の課題とうまく向き合えなかったり、直前まで不安を隠し続けたり、途中で体調を崩したり、殻をつくってしまったりという状態でした。そのせいでいろんな人たちを巻き込んだり、暴言を吐いたり、当たったりしました。

そのとき思う「できる限りのこと」はやっていたし、その上で自分が引き起こしたことだったので、それも含めて自分の実力だったのだと思います。中途半端な気持ちではトライしていないし、そのときの参加者や同じインターン生だったみんなは今でもすごく愛おしいです。

だけどわたし的には、最後まで走り切れた感覚が無かった。もう一度あの場所に戻って、最後まで走り切る感覚をあの場所で得たかった。みんなと笑いたかった。

あの場所に戻ることは、わたしにとって心拍数爆上がりになるほど怖いことでもあるけれど、それとぶつかりながらでもどうしても挑戦したいことでした。

もう一つは、「一緒につくる」。

キャンプのインターンって、本当に形が無いなあと思います。最初に言われていたけれど、スタッフさんたちがインターン生に求めていることは「キャンプをより良くするために考えて動く」こと。はっきり覚えてないけど確かそれだけだったはずです。

具体的なTo Doはいくつかあるにしても、それをどう進めていくか、他にもキャンプに向けてどんなことができるか、ああしろこうしろと言われることはない。もしかしたらサボっていても怒られない。とにかく自分たちでできることを考えて自分たちで動くタイミングが本当に多い気がしています。

そんな自由さは、ありがたくてしあわせである一方で、しんどくて苦しくもあります。ああしろこうしろと言ってもらえたら考えなくてすむこと、枠組みが決まっていれば挑戦しなくてすむこと、答えをくれたら悩まなくてすむことが沢山あります。

それでも、悩んだり立ち止まったりしながらも誰かと一緒に進んでいく感覚があって、わたしはそれが好きなのかもしれないと最近気が付きました。

違和感と「一緒に」向き合ってくれる人、「一緒に」なって手足を動かしてくれる人、キャンプに向けてどうしていきたいか、どうありたいか「一緒に」探してくれる人たちがいて、そんな人たちと生きているこの時間はとっても貴重なしあわせな時間なんです。

それにわたしは自分自身の性格や体調のこともなんとなくわかっているので、心がズドンと堕ちるタイミングは絶対に何度とやってくることは目に見えています。だけど、「一緒に」という安心があるから、この空間は絶対に孤独じゃないという信頼が心の底にあるから、だから思い切り踏み込める部分もあります。

「走り切る」と「一緒につくる」。もしかしたらこれからまた変化するかもしれませんが、自分の中での価値や意味づけは大きくこの二つです。

どんなインターンになるんだろう、どんなキャンプになるんだろう。わからないけど、みんなと笑っていられたらいいな。

#sokoagecamp  

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