「鉄鎖のメデューサ」第22章
体を固く締め上げる網目との格闘に疲れ果てた小柄な妖魔が身を休めていると、鍵が開く音がして、扉が細く開いた。うつ伏せの姿勢ながら触手の眼点は扉の様子も見て取ったが、開けた者の姿は扉の陰になっていて見えなかった。
瞬間、投げつけられた短刀が床に突き刺さり、結わえられた網の綱が数本切れた。体への締めつけがわずかにゆるんだ。開けたままの扉の隙間から遠ざかる足音はすぐに聞こえなくなった。
締めつけがゆるんだおかげで触手を動かす余地が生じていた。小柄な妖魔は眼点のある触手で網目の絡まった部分を確かめながら、長い触手の先を絡まりの中に滑り込ませ解きほぐし始めた。緩みが大きくなるにつれさらに多くの絡まりを処理できるようになり、ほどなく妖魔は網から抜け出すことができた。
扉から覗いた先は左右に伸びた廊下だった。人影は見えなかったが、鋭い聴覚がどこか右の方からかすかに聞こえてくる話声を捉えた。片方は妖魔にも定かに聞き取れなかったが、やや大きく聞こえるほうは知らない男の声だった。そちらは危険と判断した妖魔は廊下を左へと進んだ。
廊下の中央に階段があった。階下に降りると両側に同じような扉が並ぶ廊下がやはり左右に伸びていた。どちらに進むか迷った妖魔の耳に奇妙な響きが聞こえてきた。単調な、だが哀しい響きだった。妖魔はたちまち心を奪われ、聞こえてくる方角へ歩みを進めた。
響きは廊下を中ほどまで進んだところにある細く開いた扉から漏れていた。小柄な妖魔は扉の陰からそっと中をうかがった。
車の付いた椅子に一人の少女が掛けていて、首から紐で下げた棒のようなものをくわえていた。哀しい響きはその棒から聞こえていた。
椅子に腰掛けてはいるものの背丈はロビンより少し高いように見えた。だがひどくやせているため、縮んだような印象だった。かるく目を閉じた顔は骨に皮を貼り付けたよう。手足は枯れ枝と見まがうほど細く、しかも動かすことさえできないらしかった。顔には深い憂いの翳りが落ちていた。
その姿と響きの印象が一つに重なった。引き寄せられるように妖魔は部屋の中に入った。
大きい人間にさらわれて来たに違いないと妖魔は思った。長い間閉じ込められてやつれ果ててしまったのだろう。だからあんな悲しい音をたてていたのだろうと思った。やはり閉じ込められていた自らの記憶がよみがえり、妖魔は低い喉声を漏らした。
相手が目を開けた。黒い目が驚きに見開かれ、口から離れた棒が胸元で揺れた。
「な、なになの?」
脅えた顔の下の胴が、車椅子の上でわずかによじれた。
「ナニ? ナマエ、ナニ?」
「……しゃべれるの? あなた……」
さらなる驚きに返された視線が、妖魔の顔の下で止まった。
「鎖を付けているの? お父様があなたを連れてきたの?」
妖魔は首を傾げて相手を見た。いっていることはよくわからなかったが、落ち着きを取り戻しつつあるようだった。
「そうなのね、言葉を話せるから連れてこられたのね。お父様が私を元気付けようとして……」
黒い目が、小柄な妖魔の顔をまっすぐ見つめた。
「私の名前はセシリア。あなたにも名前はあるの?」
「せしりあ? くるる……」
「クルル? そう。あなたはクルルというの……」
生ける髑髏のように無残にやつれ果てた顔の翳りがやわらぎ、黒い瞳が柔らかな光を帯びた。
「クルル、お父様は私をとても大事にして下さるの。時々それで無茶もなさるのよ。
遠くから連れてこられたんでしょう? 私のために。ごめんなさい。でも、友達になってくれれば嬉しいわ。
私がそのうちいなくなったらもとの所へ帰してもらいましょうね。お父様にはちゃんと頼んでおくから許してね……」
わからない言葉もたくさんあった。それでも自分が故郷に帰ることを望んでくれているのはわかった。
しかしなによりその声の、その瞳のやるせないまでの優しさが妖魔の魂を引き付け、そして切なく苛んだ。小柄な妖魔は少女に歩み寄るとその前に屈み込み、短い腕をその膝に置いた。硬い、こわばった感触だった。
金色の縦長の瞳で黒い瞳を見上げた。触手の束をそうっと細い両腕に巻きつけたが、その腕もやはりこわばっていた。
緑の鱗に覆われた胸の奥からせり上がってきたひどく物悲しい気持ちが、低い、長い震える喉声になって尾を引いた。
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