「鉄鎖のメデューサ」第31章

 目覚めたばかりのクルルに対し、セシリアを救うため石にしてほしいと説明を始めたロビンだったが、それは予想以上に困難なものだった。

 目に見える事物に関する言葉を優先的に身につけてきた小柄な妖魔に対して、セシリアを石化してほしいことを伝えるのがまず大変だった。ようやく伝えることに成功すると、今度はクルルがセシリアはともだちだから石にはしないといい出してきかなかった。メデューサにとって石化はあくまで外敵に対する防御のための手段であり、友好的な相手を石化することには強い抵抗があるらしかった。

 毒塗りの短刀を受けて死にかけたクルル自身の体験がなかったなら、ロビンの説得は失敗に終わったに違いなかった。クルルが意識をなくしていた間に手当を受けた体験になぞらえることで、かろうじてロビンはセシリアが石になっている間に助けることが可能なのだと納得させることに成功したのだった。

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 ノースグリーン邸の正門に差し掛かると、メアリも向うから馬をとばしてきた。召使に身をやつしていたトーマスが持っていた花は一輪だけだったが、ずっと大きくてみずみずしかった。
 石化を解かれたとたん、囚われの身であることを悟った間者は舌を噛んで自害したということだった。ジョゼフ医師の尋問も難航しており燃え残りの書類の解読が進まないと打開は難しい状況とのことだった。ノースグリーン卿が俯き唇を噛んだ。
「最初にメデューサのことを私に話したのがトーマスだった。彼に騙されていたとは正直今でも信じ難い……」

 門を守る警備隊員に、アーサーがメデューサとノースグリーン卿の身柄を確保したと伝えると、すぐにホワイトクリフ卿が自らやってきた。感嘆の表情を隠さぬ若きナイトに、長身のナイトは複雑な面持ちで感謝の言葉を述べつつ門を潜った。
 庭や邸内を守る警備隊員の中にグレイヒースや一味らしき姿はもう見当たらなかった。アーサーが報告する一部始終に目を丸くするホワイトクリフ卿を尻目に、一向は寝室へと急いだ。

 骸骨のように痩せ細った少女の閉じかけた目はうつろだった。半狂乱の父親が娘に呼びかけるかたわら、セシリアにかろうじて息が通っているのを確かめたラルダはコップの水の中で花をもみ搾ると卿に手渡した。

「あなたの手で。でもこぼさないように落ち着いて。一滴でさえ貴重だ」

 寝室に入ってきたホワイトクリフ卿とアーサーも加えた全員が見守る中、ノースグリーン卿は娘の上体を抱き起こすと微かに蜜の香りがする水を手の震えを押さえつけながら少しずつその口に含ませた。コップが空になると、土気色のセシリアの顔に僅かな血色が戻ってきた。やがて、うつろだった目が父親の顔に焦点を結んだ。そして涙を浮かべた。

「……最後にまたお父様に会えるなんて。あのままもう会えないものと……」
「セシリア聞いてくれ。おまえは助かる。絶対助けてみせる! でも、そのためには一度お前を石にしないといけないんだ」

 父親の話を聴いたセシリアは首を傾げて自分を見つめる小柄な妖魔に目を向けた。腕や足に傷を負い手当てをされたその姿に、彼女はごめんなさいとつぶやいた。
「お父様はずいぶんひどいことをしてしまったのに、それでもあなたは許してくれるの?」

 その意味はわかっていないようだったが、クルルはセシリアの声に惹かれるように近づくとその横に屈み込み、少女の枯れた腕にそっと触手を這わせて哀しげな喉声をもらした。ありがとうとつぶやいたセシリアの唇に微笑が浮かんだ。

「それではお別れね、クルル。私が眠ったらお父様に森へ帰してもらってね。治ったらいつか必ず会いに行くから」

 ロビンがクルルの後ろからそっと肩に手を置いた。小柄な妖魔が肩越しに振り返って少年を見上げた。ロビンはうなづいた。
「クルル、お願い」

 セシリアに向き直った小さなメデューサの緑のまぶたが閉じられた。それが開き、縦長の瞳がかすかに光った。

 やつれはてた少女は石になった。皮の下の髑髏が透けて見える無残なその顔に、しかしかそけき微笑を浮かべたまま。哀しげな声を再びもらしたクルルをロビンが後ろから抱きしめた。

「すまない。本当にすまない」
 ノースグリーン卿が小柄な妖魔の前にひざまずき、傷を負っていないほうの小さな手を取り押しいただいた。驚いておびえを見せたクルルも、やがておずおずと触手を伸ばすと長身のナイトの頬を伝う涙に触れた。まばたきした妖魔がためらいながらも喉を鳴らした。
 不思議な感動が一同を包んだ。涙を見せまいとしたメアリとホワイトクリフは顔を見合わせる形になってしまい、あわてて目をそらした。

 そのとき部屋に入ってきた警備隊員が、グレイヒースと一味が宿舎からも姿を消していると報告した。ラルダがいった。

「おそらくスノーフィールドから脱出する気だろう。本国に戻り得られた情報を伝えた上で、新たな任務に就くのだろう。標的になるのはもちろんスノーフィールドではないだろうが、どこかの国を同じように撹乱するために。やがては手玉に取った国同士を争わせる危険性もある。追いかけよう!」

 一同に告げる黒髪の尼僧の凛とした姿に、ホワイトクリフ卿が奇妙な反応を見せた。頬を紅潮させ熱っぽいまなざしを向けた若きナイトの口から、かすれたつぶやきがもれた。
「女神だ……」

 そんな青年の姿を、ロビンが目を丸くして見上げていた。


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