『遥かなる海辺より』2-7.巻の7
人魚の話を聞いた私の胸に宿ったのは、彼女の歌をもっとその心にふさわしいものにできないかとの思いであり、願いだった。滅びの定めに置かれたことで彼らの歌が破滅をもたらす挽歌と化したのなら、その歌をいま一度、より幸せなものにできないだろうかと思ったのだ。出会うこともできぬ仲間に空しく呼びかける歌ではなく、奇しき縁で結ばれた者たちに向けた歌であってもいいのではないか。挽歌を歌うしかない生き様をよしとせず人間の村を訪れた彼女の心にふさわしい歌。元来その麗しき声が破滅や滅びしか歌えぬものでなかった以上、それは見い出せぬものではないはずだったから。
そして無からなにかを創り出すだけの才を持たぬ私にも、この麗しき海魔のためにできることはあったのだ。苦闘の日々の研鑽が報われ、彼女の心を開く鍵になったあの憂いの旋律を核とした変奏曲の構想が、私の脳裏には浮かんでいたから。展開の道筋を私は彼女の話に求めた。なぜならそれはどこまでも、彼女自身の歌であるべきものだったから。
私の話を聞いて、人魚はとまどったようだった。けれど嘆きの旋律を例にして私が変奏してみせると、彼女は私の意図をすぐに理解した。そして私の求めに応じ、嘆きの旋律を形作る音から水中を優美に舞うような旋律を導き出した。それは人魚族の似姿であり、彼女はそれをカノン風に組み合わせたとき、最も調和して響きあうよう整えた。それは母と仔の似姿であると同時に、遠い昔ともに波間を泳いだ仲間たちのイメージも重ねられたらしかった。彼女がその部分を歌ったとき、相似形を成す二つの旋律を取り巻くように無数のこだまが呼び交わすのを私は聞いたのだったから。このこだまの効果だけは、私の能力ではどうしても楽譜に書き表すことができなかった。
二つの旋律のうち一つだけが取り残され挽歌と化す部分の扱いは配慮を要した。彼女が母から伝えられた旋律は私が探り当てたものと少ししか違わなかったが、人魚の声で歌うと深さがまるで違うのだった。引き込まれるような憂いのまま長く歌われるのに懸念を覚え、私は多くの部分を私が探り当てた旋律に置き替え、最も深く沈むべき部分に一度だけ、本来の形で登場するようはからった。それがどの場所かは、楽譜を注意深く見ていただければわかると思う。その旋律こそ人魚族が伝える本来の歌なのだ。
そしてその部分に続けて、彼女は挽歌の旋律に含まれていない音を主体とする短いモチーフをちりばめ始めた。それが人魚から見た人間の似姿なのは明らかだった。それまで使われていなかった音が加えられたことで、そのモチーフは新たな局面を音楽にもたらした。自足的な調和が失われ、人魚の似姿の旋律は不安定な足場の上で懸命にバランスを探っているような趣きだった。
本当に驚くべきことだった。ほんのいくつか変奏の例を示しただけで、彼女はその技法を駆使して求める表現を自在に引き出していたのだ。だから私は曲の結びの部分については、もうなにも指示を出さなかった。ただ自分の思うように、感じるままに曲を結んでみるよう促しただけだった。
そして私は気づいていた。人魚が曲をどう結ぶかは、この村にやってきたことを最終的にどう感じているかを示すことになるのだと。だから彼女が短いモチーフの新しい音との調和点にたどり着き、憂いの影を浄化するような慰謝の響きで曲を終えたとき、私は落涙を禁じえなかった。
東の水平線から顔を出した太陽が最初の光を投げかけた。その光に払われたかのように、私の心からは憂いの影が消えていた。青みを帯びた鱗に銀色の光を散らす麗しき妖魔のかんばせにも、満たされた表情が浮かんでいた。
すると村人たちがやってきた。村長アギを先頭に、砂浜をゆっくり歩いてきた。誰もが目に涙を浮かべていたが、それは悲しみゆえのものではなく、浄化された涙だった。彼らは夢の中で妙なる歌を聴き、心閉ざす憂いが清められてゆくのを感じたと口々にいった。
そして集まった人々の前で、人魚はもう一度歌ったのだった。はにかんだような、けれど幸せそうな表情で。そしてその思いは彼女の歌にいっそう柔和な趣きを添え、私たちの心にしみ入ったのだった。
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