「鉄鎖のメデューサ」第26章

「あなたも強情な人だな、ノースグリーン卿」

 取り調べ室と化した客間で尋問を続けるホワイトクリフ卿の声には疲労さえにじんでいた。

「単独でこんなことができるはずがないことなど子供でもわかる理屈ではないか。観念して共謀者はだれか答えられよ!」

「あくまで私の意志でしたことだ。娘の命を救うために尽力してくれた人に迷惑はかけられん」
「心意気は立派というほかないが、それではすべての罪を一人でかぶることになるぞ」
「責任は私にあるのだ。私が罰せられるのは当然だ。だが」
「またその話か……」

 ホワイトクリフ卿の端正な顔に苦い表情が浮かんだ。

「正直あなたがここまで無茶な人だとは思わなかった。この期におよんでメデューサを捕まえて戻るから行かせてくれといい張るとはな」

「……セシリアを見ただろう?」
 押し殺した声に若きナイトのまなざしがゆらいだ。

「確かにむごいことだとは思うが……」
「貴君の騎士道はあれほどまでに哀れな娘を見殺しにすることを許すのか?」
「そうはいってない! だが、だからといってなんでも許されるわけではあるまい。ナイトたる者には守るべき秩序が!」
 痛いところを突かれてむきになる相手に、ノースグリーン卿はたたみかけた。

「貴君はメデューサの脅威から街を守ろうとしている。私は娘の命を救うためなにがなんでもあれを捕まえなければならぬ。利害は一致しているはずだ。それさえかなえばどんな罰でも受ける。セシリアはここへ置いていく。貴君も騎士の誇りに生きる者ならわかるはずだ。私は絶対に逃げはせぬ!」

 長身のナイトの目に宿る狂おしい光にまだ若いホワイトクリフは一瞬たじろいだが、次の瞬間その顔が怒りに染まった。
「なぜこの私が罪人に騎士の心得を説かれねばならぬ! どんな事情があろうとスノーフィールドに魔物を持ち込むは大罪。願いを聞き入れる余地などない! いいかげん頭を冷やされよっ」

 言い捨ててドアを荒々しく閉め、憤然と廊下を歩きかけた若きナイトに階段を降りてきた警備隊員が駆け寄った。階上の寝室に移されたセシリアについての報告だった。ホワイトクリフが口を引き結んだ。

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「いよいよノースグリーンが動くか……」
 客間の窓の外でジョージ・グレイヒースがつぶやいた。

「しょせん器も気迫もホワイトクリフでは及びません。なにしろスノーフィールド上層部きっての傑物です」
 小声とともに、暗がりから召使の姿の青年が姿を現わした。
「やつらの居場所は?」
 さびた声の問いかけに青年はうなづいた。

「掴みました。ただ、気になることが」
「なんだ?」
「あの尼が閉じ込められていたのにスノーレンジャーは予想外に早くメデューサを連れ出しました。メデューサがいるはずの部屋にも怖れもせず侵入して、出会ったときも混乱が起きた気配一つありませんでした」
「では、やつらだけでメデューサを従わせたというのか」
「……そういえば、小僧を一人連れていました。部屋に入るときもいっしょでした」

 ごま塩頭の警備隊員は目を閉じた。

「小僧か……。なるほど、盲点だったかもしれぬ」
「いかがいたしましょう? 隊長」
「メデューサはなにがなんでもノースグリーンの手で捕らえさせねばならぬ。いくらか手を貸してさえやれば、奴は自ら破滅へと舞い戻ってくる。そのためにはメデューサを従える者を除かねばならん。スノーレンジャーをやつらから引き離すから小僧も尼も殺せ」

 冷徹に命じる隊長に、召使に化けた部下はうなづいた。

「では、刃に毒を塗る許可を」
「おまえの腕でも必要か? トーマス」
「メデューサがいる場合はどうしても遠くから投げねばなりません。し損じるわけにはゆきませんから」
「下手すれば証拠にもなりかねん。秘密を守りきる覚悟は?」
「祖国に捧げた命です」
「よかろう」

 グレイヒースと名乗る男の目が剣呑な光を放った。

「ノースグリーンが敷地を出たらすぐに接触して奴を導け。別動隊をやつらにさし向けて投網隊のいるポイントに追い込むから、そこで尼と小僧を始末しろ。メデューサはもう泳がせる必要がないから目潰しをかけてノースグリーンに引き渡せ」

 トーマスが姿を消すと、グレイヒースは再び部屋の中に注意を戻した。だから屋根の上から立ち去るアンソニーに、ついに彼は気づかなかった。

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「本部へ同行願います。ノースグリーン卿」
 尋問の間は部屋の隅に控えていた二人の警備隊員が近づいたとたん、卿の両肘がそのみぞおちに突き立った。体を折った二人を叩き伏せると窓を蹴り開けそのまま庭に走り出た。

 かがり火の明かりの下で待機していた警備隊員がたちまち卿を取り囲んだ。しばらくは徒手空拳で持ちこたえた長身のナイトも多勢に無勢はいかんともし難く、とうとう組み臥せられた。そのとき頭上の窓が開き、ホワイトクリフ卿が顔を出した。その顔は逆光のため影に塗り潰されていた。

「……放して差し上げよ」

 予想もしなかった言葉に隊員たちからざわめきが上がったが、そんなものはノースグリーン卿の耳には届いていなかった。窓を見上げたその顔は完全に色を失っていた。

「まさか、セシリア……っ」

 呻く卿に、頭上の影がうなづいた。

「ご息女の容体が悪化した。話すことができなくなり意識が混濁し始めている。夜明け前までに戻れなければ保証はできぬ」

 長身をわななかせながら立ち上がったノースグリーン卿に、影が問いかけた。

「この状況で、それでもあなたはメデューサを捕らえにいくおつもりか? どこにいるかもわからず、捕まえることも困難なあの化け物を追われるというのか?」

「……娘にしてやれることを全力でするまでだ……」

 絞り出すような呻きに影はしばし沈黙したが、再び話し始めたとき、影の声は賞賛の色を帯びていた。
「あなたはあくまで罪人だ。表立って援護はできぬ。馬を与えるのが私の立場ではせいぜいだ」

「無論だ。何を望めようか」

「どんな結果であれ夜明けまでには戻られよ。さもなくばご息女との今生の別れになるものと覚悟されよ」

「感謝する。ホワイトクリフ卿!」

 悲愴な決意をみなぎらせた長身のナイトが身を翻すと、警備隊員の囲みが開けた。その先にグレイヒースが馬を引いて現れた。ノースグリーン卿に手綱を渡すとき、さびた声がささやいた。
「召使のトーマスが話があるとのこと。門の外に待たせております」

 長身のナイトはあえて言葉を発せず、万感の思いを込めてうなづくと馬首を門へとめぐらせた。しばしの後、門から遠ざかる蹄の音を耳にしたグレイヒースの口元に冷笑が浮かぶことなど知るすべもなく。


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