ブルックナー演奏いまむかし(MUSE2020年6月号)

 今回はブルックナーについて、思うところを少しお話できればと思います。

 正規の番号付きの曲だけでも9曲(とはいえブルックナーには単に番号なしの曲があるというだけでなく、たぶん他の作曲家に類例もなさそうな0番と00番という曲もあるわけですが)もの規模の大きな交響曲をものしたブルックナーですが、同じく長い交響曲を書いたマーラーとは作風こそ大いに異なるものの、こと録音による普及ということになればあれだけの収録時間を要する彼らの作品が一般層にまで届くにはLPの開発と普及なくしてはありえなかったわけですし、二人とも9曲の交響曲においてさえSP時代には未録音の曲がいくつも残されていました。ステレオの本格的な普及期を迎えた60年代に入ってようやくマーラーの全集録音がバーンスタイン(米コロムビア)とクーベリック(DG)の2種で先行し、ブルックナーは60年代に2つのオケを振り分けたヨッフムに続き70年代のマズア(オイロディスク)とウィーンフィルの音源を寄せ集めたデッカの2種が追随したのでした。ブルックナーに関しては70年代後半にカラヤン/ベルリンフィルとヨッフム/ドレスデン盤の登場をみて本格的な普及が始まったのでしたが、ちなみにマーラーとブルックナーを両方とも全集録音を完成させたハイティンクは2つのプロジェクトの同時進行ゆえかいずれも60年代には着手していたにもかかわらず、どちらも完成は70年代半ば近くまでずれ込んでしまい、廉価盤で全曲が買えるようになるまで時間がかかりましたし、その点は評価が高かったバーンスタインのマーラー全集も1番や4番しか廉価落ちしなかったものでした(なお日本では朝比奈の最初のブルックナー全集が限定販売ながらも登場したのがこの時期のことでした)

 マーラーの全集登場が60年代、ブルックナーのそれが70年代という違いは時期的には僅か10年の差でしかないのですが、それらを聴き比べると登場時期の演奏様式から受けた影響も如実に感じられます。マーラーはバーンスタイン、クーベリックに加え完結が70年代にずれ込んだアブラヴァネル盤のいずれもが60年代的な速めのテンポを基礎としつつも、感情表現の大きなバーンスタイン、集中力と凝縮への傾斜が前面に出たクーベリック、洗練味と耽美性の両立に驚嘆させられるアブラヴァネルといったあまりの違いの大きさにただただ驚くばかりです。それに対してブルックナーの方は指揮者がバラバラなデッカ盤は置くとして、マズア、カラヤン、ヨッフムのいずれも70年代的な遅いテンポをベースにしているのはマーラーの場合と同様ながら、明らかに解釈の幅が狭まっています。当時はなんとなく、ブルックナーの音楽がそういうものなんだと思わなくもなかったのですが、すぐモノラル時代のベイヌム盤に度肝を抜かれ、あるいはこれは曲のせいではなく、70年代という時代になにか要因があるのではと思うようにもなったのでした。

 その後も色々な作曲家の作品をあれこれ聴き続けてきたわけですが、オーケストラ、特に交響曲の分野に関する限り、明らかに70年代の演奏においては遅いテンポで荘重に演奏する儀式的な演奏スタイルの蔓延が認められ、その最中に普及の時期が重なったブルックナーの演奏様式がより強くそんな方向に傾いたのではと感じています。我が家には21世紀に収録されたブルックナー全集がD・R・ディヴィス/リンツ・ブルックナーO(03年~08年) ボルトン/ザルツブルク・モーツァルテウムO(04年~15年) ヤノフスキ/スイス・ロマンドO(07年~12年) バレンボイム/ベルリン・シュターツオーパー(10年~12年)の4種類ありますが、基本テンポの設定には多少の差はあっても曲によって逆転する程度の僅差でしかなく、ベイヌムがかつて聴かせたような最小限のテンポの動きが心理的に大きな差として発揮されるにはどうにも基本テンポが遅すぎるため、転調とあいまって驚くほど多様なニュアンスが発揮されていたベイヌム盤に比べると音楽がのっぺりしてしまうことをどれも免れてはいないのです。

 とはいえそれら近年の演奏にもいいところはあって、かつては不器用な習作めいたものとして扱われがちだった初期の交響曲の魅力がより伝わるようになったのは演奏経験の積み重ねゆえなのでしょうし、それらが中期や後期の曲にどのように受け継がれ、最終的に変容してゆくことになったのかを順を追って聴くことで感じ取りやすくなったと思います。ブルックナーの交響曲は唯一表題を持つ4番「ロマンチック」を除くと8番と9番の軋轢に軋むような峻厳さのインパクトゆえにそれらを基準として評価されがちでしたが、彼が本来書きたかったのはもっと晴朗かつ平安に満ちた、初期交響曲の到達点としての意味合いが強い5番から7番にかけての曲だったのだろうと感じるのです。なかなか成功を得られず改訂魔と呼ばれるほど何度も自作を書き直したブルックナーが、この3曲だけは本人があえて改訂を加えていないことも考え併せると、やはりそんなふうに思えてしまいます。

 ベイヌムが遺したブルックナー録音は音質の面では旧フィリップスのセッション録音だった8番と9番が素晴らしく、デッカの独自のイコライザーカーブで収録された7番と最晩年のライブ録音だった5番は補正しないと本来のバランスになりませんが、4曲のどれもが曲の書法を最大限に発揮している点ではかけがえのないものですし、中期2曲、後期2曲の組み合わせもそんな演奏だからこそ多くのことを教えてくれます。全曲の粒が揃った全集録音に進む上でもお勧めしたい遺産です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?